事業承継の準備は、後継者を探すことからではなく、譲る側の経営者が自ら「引退時期」を決めることから始まります。九州情報大学の井上善海教授は、引退時期から逆算して後継者の選定と並走の期間を確保すること、M&Aは「お見合い」のように時間をかけて相手を見極めること、そして所有と経営を分けるホールディングス化も有力な選択肢になると語ります。
後継者が見つからない、見つかっても引き継ぎがうまくいかない――事業承継は、多くの中小企業にとって大きな課題です。
本記事では、中小企業の後継者候補を対象にした講義などを通じて事業承継に携わってきた井上教授へのインタビューをもとに、引退時期から逆算する承継の計画、承継がうまくいかない会社の傾向、M&Aとホールディングス化の生かし方、そして会社を強くする人材の採用について解説します。
この記事でわかること
・事業承継の出発点は、経営者自身が「引退時期」を決めること
・引退時期から逆算する「選定3年+並走2年」の計画
・事業承継がうまくいかない会社に共通する傾向
・「M&Aはお見合い」――時間をかけて相手を見極める大切さ
・ホールディングス化、異業種採用、外国人材の長期的な活用
取材協力:井上 善海 氏
九州情報大学 経営情報学部 学部長・教授、広島大学名誉教授(取材時)。神奈川大学法学部卒業後、事業を引き継いだ会社の経営、中小企業診断士としての経営コンサルタントを経て、福岡大学大学院商学研究科で博士(商学)を取得。九州情報大学専任講師、広島大学、東洋大学、法政大学の教授を経て現職。専門は経営戦略論(新事業創造・イノベーション)、中堅・中小企業研究。日本マネジメント学会会長、人を大切にする経営学会副会長、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」実行委員会副委員長などを務める。著書・編著に『経営戦略入門』『経営情報入門』『事業創造入門』『企業経営入門』(中央経済社)、『衰退産業の勝算』(幻冬舎)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
事業承継の出発点は、経営者自身の「引退時期」
井上教授は、中小企業の後継者候補が1年間泊まり込みで学ぶ中小企業大学校のコースで講義を担当したことをきっかけに、事業承継の専門家としても知られるようになりました。
井上教授は、事業承継の出発点は後継者ではなく、譲る側の経営者にあると言います。まず経営者自身が引退の時期を決め、そこから逆算して準備を進めるのです。
| 時期の目安(70歳で引退する場合) | 内容 |
|---|---|
| 65歳から3年 | 後継者の選定を始め、選ぶ |
| 68歳から2年 | 後継者と並走しながら引き継ぐ |
| 70歳 | 引退する |
出典:井上教授への取材をもとに編集部作成
引退の年齢は60歳に限りません。80歳で引退するなら、75歳から準備を始めればよいのです。大切なのは、経営者自身が引退の時期を決めることです。
事業承継がうまくいかない会社の傾向
井上教授が最も危険だと指摘するのは、「ずっと自分がやる」と言い続ける経営者です。引退の時期を見失い、後継者がいないまま廃業に至りやすくなります。
| うまくいかない傾向 | 内容 |
|---|---|
| 引退時期を決めない | 準備を始めるきっかけがなく、気づいたときには手遅れになる |
| 優秀な人材を遠ざける | 自分より優秀な人を周りに置こうとしない |
| 後継候補を次々に替える | 後継候補を招いては手放すことを繰り返す |
| 権限を譲らない | 後継候補の準備はできているのに、経営者が権限を譲らない |
出典:井上教授への取材をもとに編集部作成
後継候補からは、「準備はできているのに、経営者が権限を譲ってくれない」という声が多く聞かれるといいます。事業承継では、まず経営者の意識を変えることが先決なのです(後継者が意思決定の力を磨く方法については、高田朝子教授の解説記事でも紹介しています)。
井上教授は、テレビ通販の大手企業が二代目のもとで、カリスマ性に頼らず組織で経営する体制を築いた例や、香川県のグローブメーカー、スワニーの経営者が早くから60歳での引退を決め、社内に後継者がいないと判断してM&Aで事業を引き継いだ例を紹介しています。
「M&Aはお見合い」――時間をかけて相手を見極める
後継者が社内にいない場合、M&Aは有効な手段です。ただし井上教授は、M&Aは「お見合い」のようなものだと言います。相手をよく理解し、確信を持ってから決めなければ、失敗しやすくなります。
| 注意点 | 内容 |
|---|---|
| 悪質な買い手に注意する | M&Aを装って会社の資産を売り払い、姿を消すといった被害もある。中小企業のM&Aが活発になるほど、それを狙う人も現れる |
| 仲介会社を見極める | 信頼できる仲介会社がある一方で、そうでない業者も混じっている。国の支援機関などを活用することが望ましい |
| 時間をかける | 複数の相手を訪ね、自社の考え方を理解してくれる相手を、時間をかけて選ぶ |
出典:井上教授への取材をもとに編集部作成
所有と経営を分ける「ホールディングス化」
井上教授が勧めるもう一つの選択肢が、ホールディングス化です。オーナーは持ち株会社を通じて株式を持ち続け、社長の職は社内の優秀な人材に任せます。
| ホールディングス化のメリット | 内容 |
|---|---|
| 後継社長の負担が軽くなる | 後継の社長が会社の借金を背負わずに、経営に専念できる |
| 人材を育てやすい | 社長を社内から選べるため、人材の育成や引き継ぎがスムーズになる |
| 承継のハードルが下がる | 会社を丸ごと譲り渡そうとしないことで、承継が難しくなるのを避けられる |
出典:井上教授への取材をもとに編集部作成
岡山県のある企業では、工場の現場から育った生え抜きの社長が、オーナーの口出しを受けずに経営を任され、売上を約50億円まで伸ばしたといいます(共同経営で事業承継を円滑にする考え方については、中井透教授の解説記事でも紹介しています)。
次の経営を担う人を社内から育てるには、早い段階から経営の判断に関わる経験を積ませることが欠かせません。
次の経営を担う人材を育てる
社内から次の経営者や幹部を育てるには、責任ある判断の経験を積ませ、リーダーとしての力を磨く機会が欠かせません。DEFiDEでは、高い収益を上げる企業のリーダーシップの実践をまとめた資料を公開しています。
会社を強くする人材の採り方――異業種採用と外国人材
異業種の出身者が新しい発想をもたらす
中小企業は新卒の採用が難しく、中途採用に頼りがちです。しかし井上教授は、同業種の出身者は保守的になりやすく、必ずしも即戦力にならないと言います。一方、異業種の出身者は、業界の常識に率直に疑問を持ち、新しい発想をもたらします。
| 事例 | 内容 |
|---|---|
| シバセ工業(工業用・医療用ストロー) | 大手電機メーカー出身のエンジニアが工場長を務める。金型を使わずに薄い樹脂のパイプをつくる技術を生かし、注射針のカバーや検体を採取するストロー、アルコール検査用の個包装ストローなどを開発した |
| アイリスオーヤマ(家電) | 大手電機メーカー出身の技術者が多く入社した。大手ではコストや社内の制約で企画が削られがちだが、「つくりたい家電」を形にできる環境に人材が集まり、家電の売上は全体の5割を超えたという |
出典:井上教授への取材をもとに編集部作成
優秀な人材は、「やりたいことができる環境」を求めて移ってきます。中小企業も、同じ発想で採用に取り組むべきだと井上教授は言います。
外国人材は長期的な視点で
井上教授が紹介するタケウチ建設では、社員の約6割がベトナム出身です。財団を通じて学生時代から奨学金を提供し、来日後に設計の技術を身につけてもらい、帰国後もベトナムの現地法人でオンラインで働き続けられる仕組みを整えています。井上教授は、「人件費が安いから」という安易な考えで外国人材を雇うと失敗すると指摘します(外国人エンジニアとの期待のミスマッチを解消する方法については、藤原綾乃准教授の解説記事でも紹介しています)。
よくある質問(FAQ)
Q. 事業承継の準備はいつから始めればよいですか?
A. 井上教授は、経営者自身が引退の時期を決め、そこから逆算して準備を始めることを勧めています。目安として、70歳で引退するなら、65歳で後継者の選定を始め、3年で選び、2年間並走する計5年の計画を挙げています。80歳で引退するなら75歳から始めればよいとしています。
Q. 事業承継がうまくいかない原因は何ですか?
A. 井上教授は、「ずっと自分がやる」と言い続けて引退時期を決めない経営者が最も危険だとしています。自分より優秀な人を遠ざける、後継候補を次々に替える、準備ができた後継候補に権限を譲らないといった傾向も挙げています。
Q. 中小企業のM&Aで注意すべきことは何ですか?
A. 井上教授は「M&Aはお見合い」だとし、相手をよく理解して確信を持ってから決めることを勧めています。M&Aを装って資産を売り払う悪質な例もあるため、国の支援機関などを活用し、時間をかけて相手を見極めることが大切です。
Q. ホールディングス化は事業承継にどう役立ちますか?
A. オーナーが持ち株会社を通じて株式を持ち続け、社長の職を社内の優秀な人材に任せることで、後継の社長が借金を背負わずに経営に専念できます。会社を丸ごと譲り渡そうとしないことで、承継のハードルが下がると井上教授は説明しています。
Q. 中小企業はどのような人材を採用すべきですか?
A. 井上教授は、同業種の出身者は保守的になりやすい一方、異業種の出身者は業界の常識に疑問を持ち新しい発想をもたらすとしています。優秀な人材は「やりたいことができる環境」を求めて移ってくるため、そうした環境を用意することが大切です。
まとめ:引退時期を決め、時間をかけて次の世代に引き継ぐ
- 事業承継の出発点は、譲る側の経営者が自ら引退時期を決めること
- 引退時期から逆算し、後継者の選定3年、並走2年の時間を確保する
- 「M&Aはお見合い」。悪質な相手に注意し、時間をかけて見極める
- ホールディングス化で所有と経営を分ければ、社内の人材に経営を任せやすくなる
- 異業種の出身者や、長期的な視点での外国人材の活用が、会社に新しい力をもたらす
前編では量ではなく質の成長を、中編では情報技術を生かす経営を見てきました。会社の質を高め、それを次の世代へ引き継いでいくためには、まず経営者自身が変わることが欠かせません。
事業承継を見据えた組織と人事を整える
事業承継を円滑に進めるには、経営者の引退時期から逆算して、幹部の役割や評価、育成の仕組みを整えておくことが役立ちます。DEFiDEでは、人事制度や組織づくりの課題について相談を受け付けています。
▶ 前編:「量の成長」から「質の成長」へ――規模を追わずに良い会社になる経営と、「人を大切にする経営」を仕組みにする方法(内部リンク)
▶ 中編:中小企業のDXはどう進める?先端技術を先に理解して経営に生かす発想と、データを自社だけの「情報」に変える力(内部リンク)
▶ インタビュー全文:「量の成長」から「質の成長」へ――現場主義の経営戦略論で読み解く、中堅・中小企業の未来(後編)(JOB Scopeマガジン)