第16回
売上10億円を超えた
ベンチャー企業の管理職たちの奮闘
~部下育成とチームビルディングの本質~
2023/01/30
目次
01 ―――
採用の発想を変える
今回は、本シリーズの最終回となる。本シリーズで、10億円前後の企業を取り上げ、経営者などにインタビューをしてきた。そこから見えてくるのは、個々の社員が1つの組織として動き、チームとして仕事をすることの難しさであり、大切だった。
そして、新卒や中途の採用をするが、難しい一面があることも浮き彫りになった。早期に退職をしたり、期待どおりの働きができない。あるいは、育成することが難しい。とはいえ、事業の成長のためにも人を雇う必要がある。そこで苦闘をしているケースが多い、
今回は、そのような企業にとってヒントになりうる事例を取り上げる。退職した社員が何らかの事情で再び入社し、復帰する制度は「出戻り制度」として知られていた。最近は、「ブーメラン制度」などと紹介されるようになった。
いったん辞めた社員を戻すことは、経営する側にとってリスクがある。それでも入社を認める背景には、何があるのだろうか。あるいは、その社員は復帰後、何を感じているのだろうか。1年半前に、ブーメラン社員と受け入れた会社を経営する社長に取材を試みたうちの一部を紹介したい。
取材対象は、本シリーズで取り上げたヒーターの製造メーカー・スリーハイ(横浜市)。スリーハイは首都圏を中心に全国の企業、団体、公的機関などから産業用、工業用ヒーターの制作を受注し、技師がオーダーメイドで制作。営業部が中心となり、販売する。現在、正社員が18人、パート社員は24人、派遣社員1人。横浜市に工場を設け、タイなど海外にも進出している。売上は、2023年9月で4億円4千万。
男澤誠 代表取締役社長と社員のSさんにヒアリング(聞き取り)をしたうちの一部が、次である。
02 ―――
仕事と家庭の両立が難しく、退職
Sさんは、営業事務担当として2010年3月に中途採用試験を経て入社し、オンラインショップの運営などをするEC事業部のグループリーダーをしていた。退職した2021年2月末よりも少し前から海外事業にも関わるようになった。EC事業と海外事業の双方に携わると仕事の量が増え、その対応のバランスが難しくなったという。
当時をこう振り返る。
「その頃、子どもが小学校に入学する時期と重なり、その準備にも追われます。時を同じくして夫が体調を崩し、しばらくの間、自宅で療養をするようになりました。これらのことをすべて私ひとりでしなければいけないんだと考えると、疲れきってしまったのだろうと思います。
2020年11月から特に忙しくなり、私にはもう無理だと心の中でリセットしてしまったんじゃないでしょうか。本当は上司に相談をすべきだったのですが、していませんでした。
上司は部下からすると敷居が低く、話しやすく、信頼できる方です。それでも、あの頃の私には心の余裕がまったくなく、話し合うことすらできなかったのです。あの時に全部を捨ててしまったのでしょうかね。それまでに培った他の社員との信頼関係やつながり、そして生きていることすらも」
03 ―――
ここまでバランス感覚が優れている人は社内外でほとんどいない
男澤社長は、その頃のSさんをこのように捉えていた。
「私の想像の域を出ておりませんが、ひとりで抱え込んでしまったのかもしれませんね。まじめで、誠実で、責任感がとても強い方ですから。
2020年12月に本人と1対1の話し合いの場で「辞めたいのですが…」といきなり言われて、ひっくり返るほどに驚きました。10年間にわたり、実にいい仕事をしていたし、会社の歴史をよく知っていて社員の間で中和剤のような働きをしてくれていたのです。上司や同僚との人間関係もよかったはずです。
私としては、どうしても辞めてほしくなかった。ここまでバランス感覚が優れている人は社内外でほとんどいないのですから、当社にとって大きな損失になります。
そのような思いが強くあり、「家庭との両立が難しいならばしばらくの間、休業をしたり、短時間正社員として勤務することでもよろしいんじゃないですか」と言ったのですが、本人の意志は強かったのです。すぐにSさんの上司にも伝え、話し合う場を設けるように指示をしました。上司もまた、信頼しきっていたので、当初はうろたえ、言葉が出ないくらいでした。
私や上司、社員たちが「辞めないで」「一緒にいたいよ」などと声をかけたのですが、考えは変わらないようでした。先代(現在の会長)から、「すばらしい人材だから、長く残ってもらえるといいね」と何度も言われてきました。残念で仕方ありませんでしたが、もう引き止めることはできないと判断し、辞める考えを受け入れたのです」
04 ―――
はじめに退職ありき、この苦しみから抜け出そう
Sさんは「今、振り返ると実は様々な選択肢があったような気がする」と語る。
「あの時ははじめに退職ありき、でとにかく辞めよう、この苦しみから抜け出そうといった思いが強かったのだろうと思います。
退職した直後の3月から、自宅そばの町工場で営業事務として働きました。スリーハイには車で片道30分程かかりましたが、その町工場には自転車ですぐに行ける距離です。
通勤の負担はなくなりましたが、職場の雰囲気がまるで違うのです。勤務した9か月間で就業時間中に上司や社員と話をしたことは、挨拶以外はほとんどありません。スリーハイでは常に皆と同等に話し合い、笑い合います。そのような光景が、日常でした。その日常がなくなるなんて、なぜ私は想像ができなかったのでしょうか。
ただ、自分でもわかっていました。たぶん、絶対、辞めたことを後悔するに決まっていると。ますます精神的に追い込まれていき、特につらかったことを覚えています。同年の夏頃にはスリーハイに戻りたいなと思うようになりつつも、無理だろうなと考えていました。業績が拡大し、新しい人をどんどんと採用しているようでしたから。
その後、この町工場を退職し、新たな会社を探しました。英語力を買われ、オールイングリッシュの幼稚園に入社したのですが、なじむことができずに5か月間で退職しました。
この頃、スリーハイの社員やパート社員と電話やメールで連絡を取る機会がありました。社長ともメールを交換することがあったのですが、挨拶程度です。それ以上のことは、自分の都合で辞めたのですから話せませんでした」
05 ―――
「会社の側から戻ってきてほしい」とお願いをしたほうがいい」
男澤社長はその後、ある社員と私とSさんで会食することがあったことを話す。
「その場で私から、こう伝えました。「可能ならば戻ってきてほしい。仮にスリーハイに戻ってくる考えがあるならば、現在勤務する会社にきちんと辞める意志を伝え、残務処理などをしてトラブルがないようにするという前提のうえで歓迎したい」。
その時にある程度、いい反応をしてくれました。
ただし、その時点で辞めた社員が入社する制度がスリーハイにあるわけではないのです。現時点(2022年12月)もありません。
私は、退職した社員が在籍中に勤務態度がよく、すばらしい仕事をしたとしても、例えば「次の会社で上手くいきませんでしたから、また元の会社に戻ります」といった考えを受け入れることには小さな会社は慎重であるべき、と思っています。
この私の考えを伝え、「しばらく待ってほしい」と言いました。Sさんのかつての上司と話し合ったり、社内の調整をはじめました。代わりに入社し、仕事を担当している社員とも話し合いました。あるいは、辞めた後に入社した社員も何人かいます。この人たちへの説明も必要でしょう」
社員たちに説明をしたポイントは、次のことだったという。
「現在拡大している海外事業の仕事は、英語と当社の製品に精通しているSさんでないと難しい。だから、私が復帰を求めた。
その時点の職場に多少なりとも不満があり、当社に戻りたいといった思いはあったのでしょうが、まずは何よりも私の側から、会社の側から依頼したことをはっきりとさせたかったのです。これは、まさしく事実なのです。このあたりを誤解されると、戻った後、何かの問題が生じるかもしれないと思ったのです。
最近、退職した社員が復帰する制度や試みが少しずつ増えているようですが、私は「会社の側から戻ってきてほしい」とお願いをしたほうが、その後の職場の人間関係などが円滑になるような気がしています」
06 ―――
「ブランクがあると、いろいろな意味で必死になります」
Sさんは「2022年5月に実際に復帰する際には、怖いものがあった」と打ち明ける。
「私が2021年2月末に退職した後に入社したパート社員の方が10人程いたり、仕事の進め方が多少変わったり、社内のルールに変更があったりして戸惑うものがあったのです。以前とは違う会社のようでした。会社全体に勢いを感じ、皆についていくことができるかなと思いました。
ブランクがあると、いろいろな意味で必死になります。求められる仕事の技能もどんどんと上がり、それをマスターするのも大変で、私なりに懸命にがんばっています。
社長が気をつかってくださったのです。入社して数週間は、自社のホームページに社内で制作した記事を整理して、アップする比較的簡単な作業を与えてくださったのです。リハビリテーションのような意味合いだったのかな、と思います。
皆さんには、「よろしくお願いします。いろいろと教えてください」とはじめてこの会社に入ったような雰囲気で接するように努めました。半年近く経った今も緊張しています。まだ、私としてはリハビリ期間です。皆さんに合わせようと、必死にがんばっています。違う会社に入ったような思いになっています。
2021年2月に辞める数か月前は、ひとりで勝手に多くのことを抱え込み、精神的につぶれてしまいかねない、と思っていました。2022年5月に復帰以降はそのようにならないように、適度にリラックスしながら仕事をしていきたいと考えています。時には本音トークや愚痴もこぼしながら(笑)。
ここに戻ってくると、社員の皆さんはハートフルで、思いやりがあるなぁとあらためて実感いたします。やはり、スリーハイは人だな、社員だなとつくづく思います。
かつての私のように疲れてしまい、本意ではないのにその時の勢いで今、辞表を出そうとしている方がいるならば、まずは上司や周囲の親しい社員に相談をしてみたほうがいいように思います。ちょっと止まり、よく考えてみましょうよ。とりあえず、深呼吸をしましょう、と言いたいですね。あの頃は、私は過呼吸みたいな状況だったのだと思います」
07 ―――
経営理念やバリューを全社に浸透させ、求心力を維持する試みの中で
男澤社長は2010年にSさんが入社した頃は、小さな町工場の雰囲気だったと語る。
「当時、技師や営業、総務、経理と分担はありましたが、忙しい時には全員で対処し、支え合い、残りこえてきました。今は業績が拡大し、取引先が増えています。各部署や個々の社員の担当する仕事の内容や範囲も明確になりつつあります。
Sさんからすると、スリーハイが会社らしくなってきたな、といったさみしさのようなものが多少なりともあるのかもしれませんね。
ここ数年、急激に変わろうとしている中、経営理念やバリュー(大切にする価値観)を全社に浸透させ、求心力を維持する試みを常にしているのですが、その変化の中で何かを感じとったのかもしれない。
退職する前はお子さんの小学校の入学など私生活でも変化があったようですから、一層にいろいろと考え込むようになったのかもしれません。純粋で、責任感が強く、取り組むことにきちんと向かい合いたいと願うタイプですから、何事にも中途半端にはできないんでしょう」
08 ―――
従来どおりの採用スタイルにとらわれることなく、発想を変えてみる
このヒアリングは、1年半前のものであり、その後も懸命に仕事を続け、今や中核を担う1人となっているようだ。
ブーメラン社員に限らず、10億円前後の企業は今後も発展を願うならば、様々な工夫をしながら採用・定着・育成をしていく必要がある。その際、従来どおりの採用スタイルにとらわれることなく、発想を変えてみることを勧めたい。
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