人的資本経営への注目度がますます高まるなか、改めて人材マネジメントの在り方がそれぞれの企業に問われている。企業のパーパスやビジョンを実現するためにも、重要な経営資源である「ヒト」をいかに管理・活用していくか。その重要性を理解できていない経営者や人事責任者はいないといっても良いだろう。だが、環境が大きく変わりゆくだけに求められるマネジメントスキルはより高度になっており、キャッチアップしきれていないのが実態だ。ならば、何に重きを置けば良いのか。神戸大学大学院経営学研究科准教授の庭本 佳子氏は、「人材マネジメントの根本に目を向けること」だと指摘する。その意味合いを語ってもらった。前編では、人的資本経営やジョブ型雇用に対する見解、人的資本の開示状況などを伺いました。

01学術的な観点では、
人的資本経営に
目新しさは感じない

日本においては、人的資本経営がバズワード化しています。この状況をどう捉えておられますか。

2023年から神戸大学に人的資本経営研究教育センターが設立され、私もメンバーの一人に名を連ねています。なので一応、人的資本経営関連のプロジェクトには携わっているものの、正直私としてはこの言葉の内実が自分でもまだはっきり掴めていない状況です、何だかふわふわしているというか…。言葉が独り歩きしている印象です。ただ、そうも言っていられないほど企業経営の中では、人的資本経営がホットトピックになっているのが現状だと捉えています。

もちろん、企業の競争優位を支えるものとしての人的資本に関心が集まるのは、非常に良いことだと思います。ただ、学術的には、敢えて取り立てるものではない気がします。今更というところが否めません。これは人的資源管理論という、いわゆる人の領域なのですが、そこの知見からすれば特段新しいものではないというのが私の印象です。

つまり、人的資本経営でよく言われるのは、「人事戦略をきちんと策定し人的資本の管理を行おう」「戦略と連動して人事管理を進めていこう」ということだと思います。さらには、それに応じて迅速に人材の適正な配置をしていくということであったりします。こういうのは、今まで戦略的人的資源管理やタレントマネジメントのところで良く言われていた話です。また、従業員が資本として価値を生み出す存在になりうるというのも、人事管理論では昔から言われてきた話です。なので、特に新しいものには映りません。

ならば、実務的には新しいのかというと、そういう部分はあると思います。「数字として開示していきましょう」「投資家目線を大切にしていきましょう」、そうしたところはまさに今推し進められているところだと思うものの、人材の価値をきちんと評価していく、数値化とそれに意味を見出すという部分が新しいのであって、「人を価値として見る」というベースの考え方自体は特段新しいものではないと思います。

日本企業では、昔から人を大事にする経営が行われてきました。長期的に雇用していく中で、きちんと育成して、そして組織人として一人前にしていく、そういったところですよね。その中で人を大切にして来たのだと思います。人を見て人に組織をつけていくという、メンバーシップ型というか、そちらの方で柔軟に管理して来たところもあります。なので、「それをきちんと見える化しましょう」「説明できるようにしましょう」「エビデンスを付けて投資家であったり、あるいは社会に開示していきましょう」というところに、昨今の人的資本経営が焦点を当てている印象です。

あまり言葉に捉われず、人に価値を置くことに取り組んでいけば良いということでしょうか。

人事管理の実践としてはそうだと思います。人的資源や人的資本といった概念を厳密に区別していきましょうというと今の状況ではわかりにくくなります。人的資本は、元々経済学の概念ですし、会計上のフローに載せていこうと思うと、資本ではなくて資産になります。

元々、人的資本の提唱者である米国の経済学者、ゲーリー・スタンリー・ベッカー氏が言っていたのは、従業員自身に価値が帰属していて、彼らがそれを自分で高めていくと転職した時に外部市場でも評価される存在になるので投資する意欲が非常に高いということです。なので、「人的資本とは何か」と厳密に紐解いていくと、今の状況に合わなくなってしまう可能性があります。そもそも、すごく曖昧に使われているからです。本当に、経済学と経営学の美味しいところを混ぜ合わせにして、「人には価値がある」というところで、人的資本という概念が使われています。

私たち研究者にとっては、それを学術的に厳密に捉えていかなければいけないのは当然ですが、人事管理を実践されている企業にとってみたら、多分どうでも良いことでしょう。なので、そこに焦点を当てるのは違うかなと思います。

02人的資本の情報開示では、
ダイバーシティ関連の
指標が目立つ

2023年度から上場企業では人的資本の情報開示が義務化されました。初年度の開示状況をどう分析されますか。

私も詳しく分析しているわけではありませんが、東証プライムに上場していて2023年3月期に決算した企業の統合報告書をざっと見た感想としては、「防御的だな」の一言です。「とりあえず守りました」という印象を受けました。総じて、差異化は図られておらず、まずは情報として出してみたといったところではないでしょうか。

ただ、それはある意味では仕方のないことだと思います。まだ義務化されたばかりですから、皆さん手探り状態で取り組まれています。別にそれが悪いことだとは思っていません。

神戸大学の人的資本経営研究教育センターでは、上場企業が開示したデータが集まっているので見させていただきました。ダイバーシティの指標に関わるところに着手された企業が多かった印象です。色々な開示項目があるものの、殆どの企業がダイバーシティ関連に集中していました。なので、そこから着手した企業が多かったのでしょう。それに関しては、そもそも女性活躍推進法や育児・介護休業法などで開示することが定められているので、人事が元から情報を持っていたのだと思います。そのデータを整理・加工して出したのでしょうから、あまり手間を掛けずに済んだというのが正直なところでしょう。統合報告書を眺めても、法律に従って開示していますと明記している企業も見かけました。

ただ、人的資本経営が経済産業省が定義付けしているような、中長期的な価値の向上を目指すという目的の下で情報開示がなされているといった観点から言うと、防御的だと言わざるを得ません。企業価値の向上という、ポジティブな印象には映りませんでしたね。

03情報開示を機に
人的資本経営に
向けた取り組みが
加速すると見込む

今後、人的資本の情報開示は企業にどのような影響をもたらしていくのでしょうか。

防御的、受動的に対応するにしても、それによってやはりしっかりと対応していかないといけないという意識は生まれてくると思います。なので、企業側はこれを機に真剣に考えるようになるという効果は期待できると思います。数字に拘泥するのは良くないとはいえ、やはり女性管理職比率や男性の育児休業取得比率などの数字の威力は大きいです。そこを改善していこうという気持ちになると思います。

難しいかもしれませんが、そうした数字にきちんと向き合っていく中で、人的競争力を上げていくために「自社の強みや独自性とは何か」を考え、独自指標を設定する企業も増えてくると思います。そうなれば、自社の立ち位置や人的な強みも模索することになるでしょう。そういう意味で、私としてはポジティブに考えています。

人的資本経営の意義にはまだまだ疑問の声もあります。どうお考えですか。

人的資本経営そのものに否定的な考えをお持ちの方は、ほとんどいないと思います。なので、人的資本経営の意義は皆さん理解されているようです。ただ、なかなか今までの日本企業が、しっかりと形にできてこなかったところなので、ためらっている気がします。情報をきちんと開示して、それと自社の価値をリンクさせていこうという意識が大事なことだとわかっていても、実践するには結構なスキルが必要です。それをやれる人が社内にまだいなかったり、意識改革ができていない状況なので難しいと判断してしまう方もいると思います。

04自社が置かれた状況の中で
雇用の在り方を考えるべき

ジョブ型雇用に関してはどのような見解をお持ちですか。

まず大前提として、○○型雇用と紋切型に言い切ってしまうと、企業が進めている多様な雇用のあり方を見落とす可能性があると思います。恐らく、その中で究極なのがジョブ型やメンバーシップ型になってきます。でも、実際にはその中でも濃淡があって、多くの企業が自社の立ち位置を決めるために四苦八苦されながら進めておられる気がします。

確かに、ジョブ型雇用とメンバーシップ型雇用はどちらもあり得る制度です。いずれも、一定の合理性があるわけです。なので、私はどちらにしなければいけないとはあまり思っていません。基本的には、従業員の貢献をどのように獲得していくのか、適正配置のベースをどう作っていくのかという点から合理性を判断すれば良いのです。そこに状況と社会構造や組織を取り巻く環境、組織内の他の人事制度・人事システムとの補完性などを踏まえて決めていくという話だと思います。

これまでの日本企業だとメンバーシップ型が多かったと言えます。言い換えれば、ジョブ型雇用に取り組んできた企業が少なかったわけです。これからはどうなるかはわかりませんが、私としてはジョブ型雇用については、別にネガティブでもポジティブでもありません。いかに合理性を捉えるかというところです。各社が置かれた状況の中で考えていくべきです。

二者択一ではなく、自社にとって何が最適なのかをしっかりと考える必要があるということですね。

ジョブ型雇用には、すごくメリットがあると思います。職責がしっかりと決まっていて、職責と成果、賃金を把握しやすいという点が、合理性の一番大きなところです。他方では従業員の日々のモチベーションが懸念されます。ここで言うモチベーションは、長期的な働きがいとは別です。日々の仕事の中で変化していくモチベーションのことを指しています。この日々のモチベーションには、もしかしたらジョブ型が良くない影響を与えるかもしれません。職務と賃金を動かせないからです。欧米でジョブ型を採用している企業でも、従業員の日々のモチベーションであったり、スキル向上に向けて、かなり柔軟に対応しているという話を良く耳にします。ジョブとそれに応じた人事制度という仕組みがある中で、ぶつからず、かつ束縛されずに、ラインマネージャーと部下が個々の状況に応じて意味のある仕事の仕方を見い出していかないといけないので、日々のコミュニケーションが非常に大事になってくると思います。

05多様化が進む時代
だからこそ、自社の
立ち位置が問われる

ジョブ型雇用は今後、日本企業に広がっていくとお考えですか。

雇用のあり方が多様化していくのに合わせて、それぞれの企業が「自社はどうするのか」という立ち位置を、これまで以上に明確にせざるを得なくなると思います。今まではメンバーシップ型と言われるようなところで、各社横並びでいたわけです。何も考えることがなかったと思います。今後は、「あの会社はジョブ型に移行している」「いやいや、メンバーシップ型をより強化している会社がある」など、多様化してくると思っています。

ちなみに、企業の経営者からジョブ型雇用に関する質問が寄せられることはありますか。

さすがに、「ジョブ型雇用にした方が良いですか」みたいな単純な投げかけはないですね。ただ、ジョブ型雇用を意識されている方は沢山おられます。その中には実際に、ジョブ型雇用に移行されようと考えている方もいたりします。実際には、下準備が大事になるのでジョブ型へと一気に変えるわけにもいきません。既にジョブ型雇用になっている企業でも話を聞くと、何年もかけて制度改革を進めてこられたようです。それもあってか、「他社の制度改定のプロセスを知りたい」という質問は良くいただきます。

新しい人事制度の再構築が必要だと認識されている経営者の方が多いものの、現実ではスピード感を持って変革が進んでいるとは思えません。何が一番の障壁になっているのでしょうか。

最大の障壁は、変わることに対する抵抗意識です。つまり、今の状況で利益を得ている方々が沢山いらっしゃるということです。元々人間はすごく臆病なものです。それに加えて、「現状では上手く行っているのだから、変える必要はないだろう」と考える人が多いと、「積極的に変えていかないといけない」と言いにくくなってしまいます。なので、危機感を従業員と共有する、危機感を殊更演出する、そうした工夫をされている経営者もいたりするようです。

庭本先生もメンバーとして参画されておられる神戸大学の人的資本経営研究教育センターとは、どういう組織なのか、そして今どんな取り組みをされているのかを改めて教えていただけますか。

人的資本経営研究教育センターは、2023年5月に神戸大学内に設立されました。産学連携という形で、人的資本経営に関する研究や教育を企画して実施することを目的としています。具体的には、教員や院生、さらには株式会社インソースの方々と連携して人的資本経営を対象とする研究プロジェクトを進めています。

例えば、今なら上場500社の人的資本開示内容を分析するプロジェクトが稼働中です。私もそのデータを見させていただき、ダイバーシティ関連が情報開示の項目数として非常に多いことに気づきました。

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庭本 佳子

神戸大学大学院経営学研究科准教授

2008年、京都大学法学部卒。2010年、京都大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了。2015年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。摂南大学経営学部講師を経て、2017年より現職。専門は、人的資源管理論、経営管理論。主な論文・著書に「経営戦略論から見る知的熟練の意義」(『日本労務学会誌』第23巻1号、16-23頁、2022年)、『経営組織入門』(編著、文眞堂、2020年)等がある。

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