>リーダーシップとフォロワーシップという表裏一体の関係ができると組織が活性化する(中編)
リーダーシップ論が大きな転換期を迎えている。トップダウン型の指示命令では組織が動かず、多様な人材が主体性を持って関わる“全員戦力化”が求められる時代となった。では、日本企業におけるリーダーシップの本質とは何か。滋賀大学教授・小野善生氏は、長年にわたりフォロワー視点からリーダーシップを研究し、「開眼」「共鳴」「感謝」という独自のキーワードを提示している。本インタビューでは、日本型組織の特性、ミドルマネジメントの役割、次世代リーダー育成、そしてシェアードリーダーシップの可能性まで、多角的に掘り下げた。中編では、リーダーシップ理論と米国経済の関連性、日本型リーダーシップのキーワードなどを聞く。
【中編のエッセンス】
中編では、リーダーシップ理論が米国経済の変遷と深く結び付いてきた歴史を解説。大量生産時代の管理型から、変革型、そしてフォロワーシップ重視へと理論が移り変わった背景を読み解いた。また、日本独自のリーダーシップ観にも言及。小野氏は、自身の研究から「開眼」「共鳴」「感謝」の三要素こそ、日本的リーダーシップの本質だと語る。さらに、フォロワーシップを組織に根付かせるには、リーダーが部下の小さな変化を受け止める“度量”が必要だと強調。ミドルマネージャーについても、上下双方に働きかける組織の要として、その役割の重要性を説いた。
【中編のキーメッセージ】
①リーダーシップ理論は、米国経済や企業変革の歴史と連動しながら進化してきた。
②日本型リーダーシップの本質は「開眼」「共鳴」感謝」の関係性にある。
③フォロワーシップを活性化する鍵は、部下の声を受け止めるリーダーの度量である。
目次

01米国経済の変化とともに進化したリーダーシップ論
リーダーシップの理論が、時代と共にすごく色々変遷していることを理解しました。このように、時代と共にリーダーシップ研究、リーダーシップ理論が変わって来ている、推移しているわけですが、小野先生は「リーダーシップ理論は米国経済の歴史と表裏一体だ」とも指摘されておられますね。
今でこそさまざまな地域や文化がリーダーシップ研究を発信していますが、まさに 90年代ぐらいは米国が世界経済の主でした。経営学自体がそうです。マネジメントについて言えば、1950年代ぐらいは、米国においてもある種黄金時代でしたから、ビッグビジネスが出てきます。デュポン、スタンダードオイル、GEなどです。
それらは、いかに決められたことをきちんとやるか、つまり既定路線に基づいて効率的に動くか。つまり、言ってしまえば、言われたことをいかにきちんと実行するかがメインでした。しかし、これが60年代後半ぐらいから米国経済が失速してきます。インフレになるわけです。さらには景気も落ち込み、スタグフレーション(景気停滞・高失業率・物価上昇が同時に進行する経済状態)になりました。それで、ドルショックやニクソンショックみたいなものが出てきます。70年代前半です。つまり、米国経済自体が下降線に入ってくるわけです。
その一方で 70年代中盤から、マイクロソフトや APPLE 、つまりシリコンバレーの IT 業界が生まれてくると、そこをつなぐキーワードは何かっていうと、変化、つまりビッグビジネスと呼ばれる企業が衰退し、GEのCEOジャック・ウェルチに象徴されるような凄腕の経営者が出てきて現状を打破していきます。その結果が、良いか悪いかは置いておき、凄まじい変革を行います。
また、ニュービジネスと呼ばれるグループは、ゼロから組織を立ち上げて業界に風穴を開け変化をかけてきます。すなわち、まさに 70年代後半から 80年代というのは、変革の話になってくるわけです。
それで、2000年代には先ほど申し上げたような不祥事が生じ、「強いリーダーシップ一辺倒ではどうなのか」という論も出て来ました。さらには、技術や環境の変化が非常に激しくなり、強いリーダーがあたかも答えを授けるといいますか、「俺は全てを知っている、だから俺の言う通りに従え」「答えはこのビジョンだ」というような図式が成り立たなくなり、「いかにその組織のメンバーの衆知を結集するか」が重要になってきました。
そこで、いわゆる環境の変化というのも、さまざまな情報源をまとめ上げる、さらにはリーダーと対話できるような参謀クラスといいますか、経営陣クラスがいて、そこで全員戦力化の組織になってくる。
まさに、リーダーシップ研究で言えば、これまでの流れでは米国の政治経済の動きが非常に劇的でした。特にカリスマ型や変革型が出てくる前夜は結構ダイナミックな時期でした。ジャック・ウェルチも 80年代に CEO になっていますが、80年代のターニングポイントと言えます。
そうすると、リーダーシップ研究もその後を追うかのような動きにアプローチが変わってきます。つまり、出来事を年表上に並べてみると、それなりに説明がつくわけです。経営学は後追い的なところがありますからね。現象が出てくると、それを後で調査・分析して、「これってどういうこと」「こういうことになっている」と捉えていく学問ですからね。それが、私の見方です。

02 「開眼・共鳴・感謝」に見る日本型リーダーシップ
小野先生から今、リーダーシップ理論が米国経済や米国の企業経営と表裏一体、非常に影響を受けているという説明をしていただきました。現代は、グローバル社会になっていますから、当然ながら日本企業もそれに追随する格好になっていると思います。ふと疑問なのですが、すべてが米国追従なのか、それとも日本独特のリーダーシップ理論みたいなものがあったのか、その点はどうなのですか。
そこは、非常にアキレス腱のようなところだと思います。どういうことかというと、日本発のリーダーシップ研究と言うと、元九州大学教授、元大阪大学名誉教授の三隅不二夫先生が日本発のリーダーシップ理論である「PM理論」(リーダーシップを「目標達成機能=P」と「集団維持機能=M」の2軸で分析し、理想的なリーダー像を4タイプに分類する行動理論)を1966年に提唱しました。
これは、まさに先ほど申し上げた行動アプローチ、どういうふうに振る舞えばリーダーシップを発揮できるかというところを論じています。奇しくも、そのPM理論という日本発のリーダーシップ研究の調査結果は当時米国で最も主要な研究であったオハイオ州立大学による研究結果とほぼ同じような結論が出ています。
ある意味、三隅先生は心理学者ですから、その普遍的なものと言いますか、サイエンスと言いますか、そういうところではなく、むしろ、ある意味国は違えども似たような行動特性が出てきたわけです。
日本のリーダーシップ研究においては、経営学よりもむしろ心理学や教育学が中心ですので、なにか日本独自のものというよりも、一つの調査対象として日本企業や日本にあるみたいな、そういった色合いがずっと強い気がします。
その研究者がアカデミックにやっていったというものと、もう一つはある種実務家の人がさまざまな情報発信をして、いわゆる実務家の理論といいますか、持論といいますか、むしろビジネスの世界においては、そちらの方がリードしていく感じになっています。例えば、松下幸之助さんや稲盛和夫さんであるとか…。まさにそうした実務家が自らの経験を通じて語ったものがリードしていくわけです。
現に経営学ベースのリーダーシップは意外に少ないです。私自身はその中において、さ
まざまな経緯がありましたけれども、そこは虚心坦懐に実際に自分が聞き取って、フォロワーの目線で、ある種ケーススタディにならざるを得なかったと言えます。あるリーダーとフォロワーの集団を対象にして、そのフォロワーがリーダーシップを認めた、感じた、認識した出来事やエピソードに対してリーダーがどう反応したか、どういう風に解釈したかを話していくと、多分これまでのリーダーシップ研究とは一線を画しており、全く独自路線でやってきた感があります。そういう意味では、日本独特なのかと思います。
そこの結論というか、フォロワーがリーダーを認めるポイントは何かというと、一つはフォロワーにとって新たなものを得ると言うか、目から鱗と言うか、何かリーダーによって新たなものがもたらされる「開眼」だと思います。私はそのようにコーリング(自分の仕事を「天職」と捉え、強い使命感を見いだして働くこと自体に深い意義や喜びを感じる職業観)したのです。
そして、ビジョンに「共鳴」するだけではなくて、リーダーに「共鳴」できるかも重要です。私の言っている「共鳴」とは、この人と私の考えていること、捉え方が何か通じる、通じ合うものがあると思えることです。
そこをもう少し深掘りすると、「この人だったらまともに話ができる」という、考え方や気持ちの本当に思考部分のベースのもののつながりとでも言えば良いか。言ったことに対する共鳴というよりも、「この人ならば分かり合える」という意味の「共鳴」です。
そして、もう一つは、「我々のためにこの人は汗水を垂らして頑張ってくれるからありがたい」「あの人だったらついていきたい」と自然に感謝したくなることです。
だから、「開眼」と「共鳴」と「感謝」というのは、私の研究成果と言うか、フォロワーがリーダーシップを認める三つの要素だと思っています。
それに対して、リーダーの側からこの「開眼」を得るようなフォロワーの接し方をするというのはどういうことかというと、「フォロワーに視線を向けてもらいたい」「成長してもらいたい」、あるいは、わざと難しい質問をして壁を与えて、そこを乗り越えさせるという育成的な視点が必要になってきます。
この育成的な視点というところが、フォロワーにとっては「開眼」でつながればリーダ
ーシップになります。「開眼」に関しては、自分の考えや価値観、想いを言葉にすることです。例えば、「あなたの信念は何ですか」といきなり聞かれてもなかなか出てこないものですが、普段から自分のリーダーとしての所作や振る舞い、仕事のやり方に対して課題を持って、「このケースではどうするか」を言語化できることが、この「共鳴」にとって重要になってきます。だから、すなわち「信念の確立」と「共鳴」というところになります。
そして、「感謝」の話は人から感謝されようと思ったら、汗水垂らして動くということですから、言行一致と口だけの“言うなり番長”ではなくて、それを実行に表す。そして、動くだけではなくて、本当にやりたいこと、実現したいことにリーダーが本気で向かっていく。その本気で向かっていく姿が、フォロワーから「感謝」の念を引き起こします。
ある意味、これが日本的なリーダーシップだという研究はなかなかないのですが、自分がやったものであるならば、極めて私はこの三つの発見、事実というか、自分がその人と体験した見解として日本らしいと思います。「なぜそう思ったか」というと、滋賀大学の提携協定校がメキシコにあります。その大学とは今でも付き合いがあるのですが、グアナファト大学(グアナファト市に位置する公立大学。18世紀に設立されており、ラテンアメリカで最も古い大学の一つ)と言います。
教員との交流で、二度ぐらい現地に行って話をしました。その時に、向こうの教員にこの話をしたのです。そうすると、疑問を抱いた先生が何人かいました。「日本っぽい」みたいな話とするわけです。記憶が定かではありませんが、フランス出身の先生が「フランスではこんなことはあり得ない」とコメントしたのを覚えています。
「共鳴するとか感謝するとかはない。もっとドライなものだ」「常識に関係なく、言われたことをやって、やったことに対してそれなりに報酬をもらう」「仕事の価値に対して思いを一つにするとか、リーダーがやった仕事に感謝するのは普遍的ではない、極めてジャパニーズなものだ」などと言われた時に、「確かにそうだな」と思いました。と同時に、その研究者に対しては、「深く研究をしたいので何かできたら良い」という話もした記憶があります。
そういう意味では、どうしても欧米のやり方は、まさに要素を分解して要素 A、要素 B、要素 Cなどといった形になるのですが、日本の場合の「開眼」も「共鳴」も「感謝」もある意味、その類型化はできるものの、それが個々に独立しているとは必ずしも言えません。日常的な相互作用によって育成する面が感じられ、一生懸命になっているから「感謝」として捉えられるところ、熱く語っているから「共鳴」されるところもあるのではないかと思っています。そういう意味においては、日本的なリーダーシップというのは抽象的な表現で恐縮ですが、かなりウェットな面があると思います。
それに対して、昨今の状況は、ある意味、これまでの日本的なリーダーシップみたいなものが発揮しにくい気がします。先日も、とある実務家の皆さんとの会合に行きましたところ、「昨今の職場は静かだ」「会話がない」「良い意味での騒々しさがない」という話になりました。実際、電話がほぼ掛かってこなかったりしています。
確かに、そうですね。
やりとりは、もはやオンラインか文字メッセージで終わってしまいます。職場にある一定の騒がしさというか、ノイズと言いますか、それがあるからこそ人とのつながり、あるいは「若手がどんなことを考えているか」であるとか、「実はこういう話もあります」という情報交換ができます。
かつての日本企業には、大部屋がありました。これは、別に日本人だけに特有のものになるのではなくて、それなりに文化的な背景が異なる人も、ある程度皆でワイワイとウェットな感じでやるというのは理解してもらえると思います。ある意味、日本的な組織の良さとていうのは、非常に発揮しにくいような現場になっていると思います。

03フォロワーシップを生かすリーダーの“受け止める力”
小野先生、今挙げていただいた「開眼」「共鳴」「感謝」はとても良い言葉だと思いました。ところで、組織内にフォロワーシップを醸成するにはどうしたら良いのでしょうか。アドバイスをいただけますか。
これは、一点に尽きると思います。すなわち、リーダーシップというのは、ある意味、リーダーの側からフォロワーに矢印が出ると、本当に「この人嫌だな」と思っていたとしても、現実問題としてヒエラルキーというのは、どんなにフラットな組織であったとしても、やはり指示と命令が行くという関係は、階層の差こそあれ、立場というのは絶対あります。だから、つまりフォロワーはある意味渋々であれ、その矢印は受け入れざるを得ない立場にあると思います。
それに対して、フォロワーシップは下から上への働きかけですから、これはリーダーが受け取るかどうかに掛かっています。受け取れなかったらもう終わりです。すなわち。何が大事かと言ったら、リーダーがどれだけそのフォロワーの働きかけ、動きに敏感であり、なおかつ少しの変化でも受け取ってやれるような度量があるかどうかということです。
「こんなことやって当然だろう」と思っていると、フォロワーのわずかな変化を見落としがちになります。かくいう私もゼミ生の指導等が、必ずしも上手くいっているわけではないです。けれども、少し進捗が遅れているなという学生に対しても、「良くなっているな」と思ったら、そこをなるべく拾って引き上げると言いますか、いわゆるフォロワーの日々の行動にどれだけ敏感であるかどうかです。
それをミドルマネージャーであれ、トップマネージャーであれ、どれだけ普段の日常業務において意識化できるかどうかがポイントだと思います。
これは、まさに旧パラダイムでリーダーシップを捉えていると無理です。すなわち、トップが答えを授ける、与える、「この通りにやれ」、「正解はこっちだ」という観点であれば、「いや実はこういった情報があります」「いや私はこういうふうに思います」などととても言えません。下手をすると、「そんなことはお前の立場ではとにかく言うな」と言われてしまいます。そうなると、もう終わりです。
フォロワーシップは目を瞑られてしまうと、ある意味学習性無力感(ストレスの多い環境に長期間置かれることで「何をしても無駄だ」と学習し、行動する意欲を失う心理状態)みたいなのが働いて、「あの人にはいくら言っても無駄だ」となります。そうすると、「取り敢えず言うことを聞いたふりをしておこう」、あるいは、「あなたの言う通りにやりましたけれども上手くいきませんでした」という、いわゆる最低許容行動(組織や医療において、規則や基準を守ることばかりを重視し、顧客のニーズや患者の権利を軽視する行動)、つまり、社会学者ロバート・K・マートンが提唱した「官僚制組織の逆機能」(組織の合理的なルールや手続きが意図せずに組織の効率や目標達成を阻害する現象)という理論があります。これでは、ある種組織を硬直させてしまう可能性が高いです。と考えると、フォロワーシップは生かすも殺すも実は管理者、リーダーが鍵を持っていて、リーダーがフォロワーシップの意義を理解し、フォロワーシップを汲み取れる度量があるかどうかに左右されます。私が色々見たり、調べたりした限りでは、この一点だというのが、今の段階の私の考えです。

04ミドルマネージャーは組織を動かす“血流”である
フォロワーシップの醸成に向けて、ミドルマネジメント層は何をすべきでしょうか。
はい。中間管理職は、まさにリーダーシップとフォロワーシップの両方をやらないといけないという非常に難しい立場にあります。すなわち、より上位の上司に対してはフォロワーシップ、そして若手に対してはリーダーシップと、いわゆる矢印を上下にやっていかないといけません。上も下もですから大変です。
なので、昨今は中間管理職にはなりたくないと思う若手社員が増えています。しかしながら、このミドルマネージャーはまさに組織の血なのです。かつて、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)や加護野忠男先生(神戸大学名誉教授)も「日本の組織の一番の強さの源はミドルマネジメントにある」とおっしゃっていました。「ミドルアップアンドダウンである」と。ミドルが上に下にと動く、これが組織の原動力になると指摘されていたのです。
さらには、90年代前半には私の師匠である金井壽宏先生も「創造するミドル: 生き方とキャリアを考えつづけるために」(有斐閣)と題する本を沼倉幹先生(一橋大学名誉教授)、米倉誠一郎先生(一橋大学名誉教授)らと三人で執筆されました。やはり、ミドルマネージャーが機能しないことにはなかなか組織が上手く回らないと指摘しています。
その上で考えると、実はミドルマネージャーはフォロワーシップもリーダーシップも発揮できるという、非常に組織の醍醐味といいますか、ミドルマネージャーにしかできないことだと言えます。この仕事経験の蓄積が良きフォロワーシップ、良きリーダーシップにつながっていくわけです。すなわち、リーダーになる登竜門であると同時に、組織を支える重要なポジションになってくるということなのです。
そう考えると、組織全体においてミドルマネージャーのマンパワーのつけ方であるとか、ミドルマネージャーの負担をどれだけ軽減し、ミドルマネージャーがある意味組織のリーダーシップ、フォロワーシップを発揮しやすい環境を作れるかどうかというところが重要になってきます。
そのための手段として、例えばルーティンワークにはどんどんAI を活用していく、あるいは、比較的早い段階に若手に学習の機会を提供していくことです。言い換えれば、若手に権限を移譲することによって何らかのアウトプットが出たら、そのアウトプットに対して、次にどういうふうに課題を見つけるか、あるいは上手くいったとしても、次も上手く行くなら、さらなるステップを用意できるとか、ミドルマネージャーがエンパワーメントを通じて若手の育成をしていく必要があります。当然ながら、ミドルマネージャーがバックアップするということは、より上位の上司は、はしごを外すようなことは絶対してはいけません。
この日本の組織の動き方というところで、一つ興味深いことがあります。それは、先ほどの日本型リーダーシップにも通じるかなと思います。

05上司の“お墨付き”が組織変革を後押しする
どんなことでしょうか。
かつて、『日暮硯』という本がありました。これは江戸時代中期に活躍した恩田木工民親という家老の業績を描いた本です。内容は、信州・松代藩の組織変化の話です。深刻な財政危機に陥った信州・松代藩を恩田木工民親が抜擢人事により建て直していきます。つまり、彼はミドルマネージャーであり、プロジェクトマネージャーでもあります。
その恩田木工民親を抜擢したのが真田幸弘。まだまだ十代の若い藩主でした。真田幸弘は、自分の先代が財政再建に何度かトライしたものの、失敗するのを見てきました。自分が家督を継いだ時に、「プロジェクトの建て直しをしなければいけない」と思ったものの、非常に権限、権力基盤が弱いといわゆる抵抗している人たちにひっくり返されるかもしれないので、「まず藩の建て直しを自身が主としてやるから、私のやったことに対してしっかりとバックアップしてくれ」と真田の一門衆を巻き込むわけです。
彼らのお墨付きを得た真田幸弘は、今度は恩田木工民親にお墨付きを与えます。 つまり、ある意味正当性を与える人が後ろにつくことによって、リーダーシップを発揮しやすい環境を整えたのです。
日本の組織には、結構そういうところがあります。司馬遼太郎が10年の歳月をかけて執筆した『坂の上の雲』という本の中でも、西郷隆盛の弟の西郷従道が海軍大臣に就任した時に、日本海軍の近代化に挑みました。そのプロジェクトリーダーは、同じ薩摩藩の山本権兵衛でした。西郷は、こう言います。「俺は海軍のことは知らんとか。で、山本、お前がやれ。ただし、どんなことも俺が責任取ってやる」と。
つまり、海軍大将西郷従道が、いわゆる正当なお墨付きを与えることによって、山本権兵衛が近代化の変革を推進していきます。先ほどの恩田木工民親であれば、真田幸弘がバックにつき、その真田幸弘のバックには真田の一門衆がつくという構図です。
なので、ミドルマネージャーに何か権限を移譲する、何か働きがあったら、より上位のマネージャー、あるいはトップはそれに対してしっかりと正当パワーによるお墨付きを与えることが大事なのです。すなわち、パワーとリーダーシップの融合が日本型組織においては重要になってきます。
これが一つ欠落するとガタガタになります。例えば、ミドルマネージャーが若手に懸命になって仕事を振り、支援的な体制を整えて、それなりに下が活性しているのに、上が「あの若手の仕事ぶりは気に入らない」「お前の権限移譲はやりすぎだ」とか言って梯子を外したら、もう一気にミドルマネージャーのフォロワーシップが摘まれてしまいます。
ミドルマネージャーから下のリーダーシップは潰れ、さらにトップはミドルマネージャーにリーダーシップを発揮しているつもりであっても、ミドルマネージャーはメンタルを害してしまうこともあり得ます。「より上位だから下に任せておけば良い」というわけではなくて、リーダーがリーダーシップを発揮しやすい環境を整えてやることが、組織の上位層やトップにおいては必要になってきます。
このパワーとリーダーシップの融合が、まさに日本的リーダーシップ、さらには現場のフォロワーシップを活性化させると思っています。実は過去の文献を色々見てもそうですし、私がリーダーに聞き取り調査を行った結果を見ても、やはりリーダーシップというところで、より上位のリーダーのバックアップが非常に重要であることは明白です。この関係性をいかに作り込めるが大事だと思います。

小野 善生 氏
滋賀大学
経済学部 教授
1974年京都府生まれ。1997年滋賀大学経済学部卒。2003年神戸大学大学院経営学研究科博士課程後期課程修了。博士(経営学)。滋賀大学経済学部助手/講師/助教授/准教授、関西大学商学部准教授などを経て、2017年より現職。専門は組織論、リーダーシップ論、組織行動論、経営管理論、経営学。特に、フォロワーの視点からリーダーシップを明らかにする研究に取り組む。主な著書に『最強のリーダーシップ理論集中講義』(日本実業出版社)、『フォロワーが語るリーダーシップ』(有斐閣)、『リーダーシップ徹底講座 第2版』(中央経済社)など、著書・共著書多数。

