社会環境、経済環境著しく変化する中、既存のビジネスモデルを維持しにくくなってきた。それに伴い、会社と従業員との関係性も変わって来ている。会社としては、従業員に自律を期待する。一方、従業員は会社にもっと人を大切にした経営をと、強く希望している。果たして、それを一致させることができるのであろうか。「個を活かす組織」の研究で知られる専修大学の馬塲教授に、昨今の企業や個を巡る論点を聞いた。前編では、人的資本経営に対する見解や活き活きと働ける組織づくりなどについて語ってもらった。

01日本企業において、人を大切にするという根底は不変

近年は人的資本経営が叫ばれています。人的資源管理を研究されておられる馬塲先生は、昨今の状況をどうご覧になられていますか。

若干違和感があります。何だか、逆輸入的な印象を覚えるからです。バブル期にかけて、日本の経営を欧米の方々が観察し評価したものの一つに、人的な側面がありました。それを恐らく米国やヨーロッパの企業に合わせて少しカスタマイズされたものが、人的資本という言葉でまた日本に上陸してきた、そんな捉え方をしています。

そういう意味では、人を大切にしようという根底は変わっていないのですが、環境によって少し扱い方も変わってきていますし、人の意識もマインドも仕事に対しての想いも、昭和の時代の方々と今の方々とでは少し変わってきています。そういったところを少し反映させながら、これからの時代に日本企業が人を大切にするということはどのようなことなのか、改めて考えていかなくてはいけないと思っています。

一時期、「日本企業には戦略がない」との指摘がありました。現状ではどうなのでしょうか。

その発端は、「日本企業には戦略がない」と指摘した経営学者マイケル・ポーター氏と、「君こそ日本企業から戦略を学びなさい」と反論した経営学者ヘンリー・ミンツバーグ氏との論争が背後にあると思っています。ポーター氏もミンツバーグ氏も、それぞれの視点の違いをよくおわかりになった上で話されているのだろうと思います。

昭和の時代、あるいは平成にかけての日本企業は、多くは積み上げ方式という形で、ざっくりとしたことは上から降りてはくるものの、現場の方々が日々考えている内容等々を進言し、それを取りまとめて中期経営計画なり、長期経営計画を考えていました。それを指して、恐らくポーター氏は「日本企業に戦略はない」と指摘されたんだろうと思います。

ただ、私の指導教授である故・清水龍瑩先生は恐らく世界で最も経営者へのインタビューをされている経営学者で、私も大学院に入ってからその場に何度か連れて行っていただいたのですが、当時の経営者は将来構想をお持ちでした。欧米の企業のような経営戦略というようなことを目に見える形で示してはいませんでしたが…。

もちろん、業績が良いというのは時々運の側面もあったりします。単にその年の業績が良かったことを指して良い戦略だったと言うのは、なかなか難しい場面もあるとは思います。それでも、私がお会いした経営者の方々はしっかりとした将来構想を構築し、価値観の共有に重点を置いて取り組んでいらしたように観察できました。

「戦略がない」といったことに関して思い出すことがあります。私が専修大学に入職したのは1995年ぐらいだったと思います。その当時、Webページはほぼなくて、企業のWebページに行くと会社案内をそのまま写したような、かなりチープな感じのものしかありませんでした。だから、当時は経営学を学生に教える際に、「コンピタンス経営」(自社の優位性を最大限に活かし、競争力のある事業を展開する経営戦略)や「ビジョナリーカンパニー」(ビジョンを明確に描き、業界で広く尊敬されるとともに、ずばぬけた成果を上げている企業)といったものの素材を探すときにかなり苦労をしました。「この会社や経営者は何を考えて何に取り組んでいるのか」が明示されていなかったからです。

ところが、それから5年ぐらい経ち2000年ぐらいになってくると、段々とWebページもしっかりしてきて、会社のWebページに行くと、ビジョンが掲げられていて「将来こんなことをやっていきたい」などと明らかにする傾向が強くなってきたと思っています。

今日本企業で、特に上場企業の中でそういう経営戦略という表現が、ポーター氏の言っている戦略に合致するかどうかはわかりませんが、将来の事業領域を考え、どこを耕し、どこを育てていこうかといったことに関しては、多かれ少なかれ取り組んでいない企業はないと思います。ただ、中小企業を見ると、やはり経営者の想いが先行していて、その畑が非常に豊かであるがために、経営戦略についてあまり考えなくてもしっかりと収益をもたらしてくれるというビジネスを抱えている企業があるのもまた事実だと認識しています。

02依然として日本企業は個を活かせていない

馬塲先生は、2019年に著書「なぜ組織は個を活かせないのか」(中央経済社)を執筆されました。そもそも、研究のきっかけは何だったのですか。

僕たちの世代は、新人類世代(1960年代生まれ)と言われていました。「新人類は扱いにくい」というのが世の中一般の当時の風潮で、「彼ら彼女たちをどうやったら活かせるのか」「彼ら彼女たちにどのように働きかけていくと火がつくのか」、そんなことを学部の卒業論文で研究をしたがきっかけになっています。

なぜそれを扱ったのかというと、僕が高校・大学と自転車競技に取り組んでいたからです。そのご縁でチームの運営に携わることができ、また、卒業した中学校のスキー学校で、中学生を相手に教えるという機会にも恵まれ、育成や選手の強化、コーチングについて考える機会がかなり多かったことも、恐らくこういうテーマを追い求めている原因なのかなと思います。

その中で才能はあるのに、第三者から見て取り組めていないように見えるのはどうしてなのかとか、本人は「やりたい」と思っているように見えるものの、どうしてトレーニングに没頭できないのか、といった現象を見て、どのようなサポートをすれば選手が気持ち良く、しかもチームが納得できる結果を得られるのかというようなところを考えていく中で、このテーマに触れていきました。

著書の執筆から6年が経ちました。日本企業に変化は見られるのでしょうか。

どうでしょうか。個が活かせていない印象ですが、なかなかエビデンスまでは持ち合わせていなかったりします。ミクロでは幾つか事例として挙げることはできるのですがね。著書の前半で私が取り上げたのが、一人当たりの労働生産性が一向に改善しないという点であったり、ヒット商品が継続的に出てきてないという点でした。その観点で見るならば、全く改善されていないと言えると思います。

ただ昨今、「両利きの経営」(既存事業を深化する一方で、イノベーションを探索する経営手法)に関する課題や限界が色々な角度で指摘されていて、ここの歪みのようなものは改善されつつあると感じています。あとは、ここ数年で変わった傾向としては、コロナ禍に入ったときにはもう皆さん混乱しましたが、コロナ禍を経て蓋を開けてみると、若い人たちの人数が極端に少なくなり、人材の争奪戦みたいなものが激しさを増しています。そうした中で企業側は何か腫れ物にでも触るように若い人たちを扱わざるを得なくなってきているところが、僕が当時考えていた状況とは変わってきていると考えることができます。

若い人たちは本当にどんどんチャンスに恵まれるようになってきています。その一方で、なかなか考えるきっかけ、自ら動けるきっかけ、自分の立ち振る舞い等々に伸び悩んでいる人たちは、一向に抜け出せないというような現象もまた見えているような気がします。

03労働生産性の値にはさまざまなトリックがある


日本生産性本部が、2024年12月に発表したデータでも日本は「時間単位当たりの労働生産性」(就業者一人当たり付加価値)が、OECD加盟国中29位。「就業者一人当たり労働生産性」(就業者一人当たり付加価値)は32位でした。近年は、30位近くが定位置になっています。向上する可能性はあるのでしょうか。

まず前提として、労働生産性の問題は突き詰めていくとどこまで信じて良いのかという問題があります。一つには、為替が円安に触れてしまうとどうしても実際の経済力よりも低く出る可能性が高くなります。また、海外からの労働人口がどれだけ日本経済に貢献するのかといったところが変わってくると、このデータも大きく変わってきます。だから、あまり深掘りできない数字ではあります。ただ、その一方で、目安としては気にしていなくてはいけません。少しは「まずいよね」と皆さんに留意していただきたい内容ではあると思います。

ご質問いただいた「改善するかどうか」に関して言えば、少なくとも改善できる要素は今のところ考えにくいです。そもそも、労働生産性とは労働成果を労働投入量で割った値です。「分子の部分である労働成果が拡大する可能性のある業種・業界が日本国内にあるか」と聞かれても、「イエス」と答えられる人はほとんどいないと思います。分母のレベルで考えてみると、分母を小さくすれば労働生産性の値は大きくなるものの、こちらもここ数年で大きな変化が出るということは、今考えづらい状況に見えます。ただ、働き方改革が浸透し、限られた時間で同様の成果を出す工夫は定着してきています。その成果は一定程度、観察することができます。

労働生産性は、それほど神経質にならなくても良いが、「頭の片隅には持っていた方が良い」ということですね。

そうです。労働生産性ランキングの高い国は外国人労働者が多かったりします。しかし、労働生産性を計算する際の分母には、外国人労働者は含まれません。その結果、分子が大きくなっているわけです。それは、アイルランドにしても、ルクセンブルグにしても同様です。いずれも、非常に多くの外国人が働いています。日本も外国人をどんどん迎え入れて、外国人によって分子を大きくする活動をしつつ、分母にはいれないということを行えば、短期的には労働生産性が高くなるはずです。もちろん、それによる弊害があることも見込まれます。日本がこういった国々のようなことができる状況ではないことを踏まえ、国際競争力を高めるために、実質的な生産性を改善する工夫をしていくことが求められています。

04まずは、個を活かす必然性を確認したい

個を活かす組織、活き活きと働ける組織になるためには、どんな取り組みが必要だとお考えですか。

置かれている状況によって、個を活かした方が良いのかどうかが変わってきます。例えば、個を活かす状況に置かれていれば、必然的に自分から活きようとします。また、環境がそういうふうにさせていく可能性が高いです。そうではないとなかなか難しいです。例えば、安定した不動産収入が得られる会社や、政府の規制によって守られている社会インフラを提供している会社では、なかなか新しいことに取り組め、と言っても、働いている人たちは本本腰を入れて努力はしづらいでしょう。一方、現在取り組んでいるビジネスの寿命が短く、次々に新しいビジネスを探していかなければいけない会社では、多くの従業員が新たなビジネスを模索するようになります。

そういう意味では、個を活かす必然性がどのくらい高いのかどうかという確認をしたいと思います。「うちの会社も自律的に考えていかなければいけない」ということであるならば、そういう機会を作って、皆に周知をすることがすごく大事になってくると思います。大体はその機会が潰されている可能性が高いというのが、データから見てもわかります。

なぜ潰されるのかと言うと、企業の中では新しいことに取り組んでいかなければいけないのですが、通常新しいことに取り組むためにはお金が掛かります。しかし、新しいことに取り組む場合、最初はほとんどが失敗をしてしまいます。多くの失敗を繰り返し成功にたどり着きます。そのお金がどこから出てくるかのと言えば、安定した収益をもたらすビジネスから供給されています。そういう安定したビジネスを進めていこうとするときには、実は新しいことをする必然性は低く、いかに無駄をなくしていくのかが求められます。この、安定した収益をえる事業の重視が、新しいことへの模索を阻むのです。失敗を許さない、無駄な時間となる自由度を与えないといったことは、効率化には良く取られる手法ですが、これでは新しい挑戦などできません。

大企業だとこれらを分けることが可能です。だから、両者を分ける両利きの経営が推奨されています。深化と探索を進める、それぞれの組織は目指していることが違います。価値観も違い、評価基準も変わってくるので組織を分けていかないと「カニバリゼーション」(自社の資源を奪いあう現象)を起こしてしまう。互いが良いところを悪く、悪いところを良いと言ってしまうので分けましょうというのがざっくりとしたまとめです。ただ、中小企業はわける資源量がありません。そのため、中小企業では、2つの側面を同時に扱う際にどうしても矛盾を内包することになります。

分ける資源量がない中小企業で、どうその矛盾点を吸収していくのかというところが、経営者の腕の見せ所だというのが、私の観察のところで見えてくる話です。だから、経営者の方が悩みとして感じている矛盾点が、どこなのかによってアドバイスする内容が変わってきそうな気がします。

個を活かす組織になるには、パーパスやミッション、ビジョンは必要なのでしょうか。

これも、難しい質問ですね。経営学者的には「必要です」と言いたいところですが、必ずしも必要ではない会社があるのも事実だと認識しています。ビジネスモデルが安定していて規模もそれほど大きくなく、地域やお客さんも決して真新しさを期待していないという状況であれば、ビジョンのようなものを掲げて将来のあるべき姿に向けて社員が一丸となってやっていきましょうということは、必ずしも必要ないはずです。むしろ、メンバー皆で共有している価値観を大切にして、そのお客さんとの関係性が壊れないように注意をしていく、観察をしていくことの方が、持続的な取り組みとしては望ましい場合もありそうです。

ただ、その社長さんが「会社をもっと成長させたい」と思っているのであれば、今のビジネスから何かしら変えていかなければなりません。どのような形で社員の方々に訴求していくのかということも含めて、社長さんが考えている方向性や将来像を共有、見える化したビジョンのようなものを掲げた方が会社は大きくなっていくと思います。

それでも、パーパスという名前かどうかは別として、中小企業の経営者は何かしら社員の方々と共有していきたい価値観のようなものをお持ちになっている方々が多い気がします。


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馬塲 杉夫

専修大学  
経営学部 教授  

1966年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。現在、専修大学経営学部教授。専門は戦略経営論。日本経営学会、組織学会、日本労務学会Academy of Management, Strategic Management Societyなどの学会に所属。三建設備工業監査役、日本学生自転車競技連盟評議員も務める。著書に、『「組織力」の経営―日本のマネジメントは有効か』(共著)中央経済社、2002。『個の主体性尊重のマネジメント』白桃書房、2005。『なぜ組織は個を活かせないのか』中央経済社、2019ほか。

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