アントレプレナーシップとは?イノベーションは手段|一橋大学名誉教授・米倉誠一郎氏

 

アントレプレナーシップとは、会社を起こす「起業家精神」にとどまらず、医師でも教師でも給食の調理員でも、誰もが発揮できる「イノベーションを遂行する能力」です。一橋大学名誉教授の米倉誠一郎氏は、イノベーションは目的ではなく手段であり、「何のために」という目的語のある経営こそが重要だと語ります。

前編では、ジョブ型の実態は成果主義であり、経営者は曖昧な言葉に逃げず覚悟と数値目標を示すべきだという米倉氏の考えを紹介しました。後編では、日本企業が稼ぐ力を取り戻すために何をすべきかを考えます。

本記事では、1997年に一橋大学イノベーション研究センターの設立に関わった米倉氏へのインタビューをもとに、イノベーションが手段である理由、アントレプレナーシップの本来の意味、短期的に役立たないものへの投資、具体的な目標設定の重要性、日本が強めるべき強み、デジタル投資と事業承継、そして中小企業がディファレントな道で勝つ方法について解説します。

この記事でわかること

・「イノベーションは手段であって目的ではない」理由

・アントレプレナーシップの本来の意味――誰もが発揮できる能力

・稼ぐ力を高めるための、具体的な目標設定の大切さ

・日本が強めるべき強みと、デジタル投資の原則

・中小企業がディファレントな道とプライシングで勝つ方法

取材協力:米倉 誠一郎(よねくら せいいちろう)氏

一橋大学 名誉教授、デジタルハリウッド大学大学院 特命教授(取材時)。一橋大学社会学部(1977年)および経済学部(1979年)卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了(1981年)。ハーバード大学Ph.D.(歴史学、1990年)。1982〜2017年、一橋大学イノベーション研究センター助手、助教授を経て教授、2008〜2012年同センター長。2012〜2014年プレトリア大学ビジネススクール(GIBS)日本研究センター所長を兼務。2017〜2024年法政大学大学院教授。2020年よりソーシャル・イノベーション・スクール(CR-SIS)学長、2021年より世界元気塾塾長、2024年よりデジタルハリウッド大学大学院特命教授。専門はイノベーションを核とした戦略と組織の歴史的研究。

聞き手:JOB Scopeマガジン編集部

イノベーションは手段であって目的ではない

米倉氏らは1997年、国立大学として初めて「イノベーション」の名を冠した研究センターを一橋大学に設立し、以来この言葉を使い続けてきました。しかし今、米倉氏は「イノベーション」という言葉は使わないと決めているといいます。

理由は、イノベーションと言った途端に気持ちよくなって、思考停止する人があまりに多いからです。「イノベーション人材を求めています」「イノベーションを推進しています」――米倉氏に言わせれば「それって何」です。イノベーションも、ジョブ型雇用も手段であって目的ではありません。問われているのは「何のためにやるのか」という目的語だと米倉氏は言います。

曖昧な表現 目的語のある表現の例(米倉氏の提案)
「イノベーションを推進します」 「5年以内に労働生産性の国際ランキングで20位に復帰する」
「イノベーション人材を求めています」 「平均賃金で他の先進国を上回る給料を全社員に払う。そのためにこの人材が必要だ」
「人的資本経営に取り組みます」 「今の自社の姿から、この分野を強化するためにこういう人材を育て、資本も投資する」

出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成

目的を達成するために、普通ではできないことや新しい発想を実行する。それを周りの学者やメディアが「それってイノベーションですよね」と言うのが、イノベーションのあるべき姿だと米倉氏は語ります。

日本の労働生産性はOECDで下位に

米倉氏が「目的語」として挙げるのが、生産性や賃金です。日本生産性本部によると、2024年の日本の時間当たり労働生産性はOECD加盟38カ国中28位、就業者1人当たりでは29位で、主要先進7カ国の中で最も低い状況が続いています。日本人が働いていないわけではなく、働き方が間違っていると米倉氏は指摘します。

指標 日本の数値(2024年) OECD加盟38カ国中の順位
時間当たり労働生産性 60.1ドル 28位
就業者1人当たり労働生産性 98,344ドル 29位

出典:日本生産性本部「労働生産性の国際比較2025」(購買力平価換算)。取材時は2023年版のデータ(時間当たり30位、1人当たり31位)をもとに語られた

アントレプレナーシップとは?――誰もが発揮できる「イノベーションを遂行する能力」

アントレプレナーシップ(entrepreneurship)とは、イノベーションを遂行する能力のことです。最近は「起業家精神」と訳され、会社を起こすことばかりに意味が寄っていますが、かつては「企業家精神」「企業者職能」「企業家能力」と訳されていました。米倉氏は、「シップ」には心構えだけでなく、能力や技能に基づくあり方が含まれると考えています。

  狭い意味(起業家精神) 本来の意味(米倉氏)
意味 会社を起こす、ビジネスを立ち上げる心構え イノベーションを遂行する能力
担い手 起業家 医師、教師、給食の調理員など、あらゆる人
例 スタートアップを創業する 給食をもっとおいしくし、燃料費や材料費を大幅に削減する

出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成

給食をもっとおいしくし、しかもコストを驚くほど下げた調理員も、立派なアントレプレナーです。こうした動きが社会の隅々から湧き起これば、「日本はアントレプレナーシップが国中にあふれている」と海外からも言われるようになる、と米倉氏は語ります。

短期的に役立たないものにも投資する

米倉氏は、長期的に考えれば役に立たないもの、すぐに成果が上がらないものにも投資しなければならないと言います。それもまた、経営者のアントレプレナーシップです。優れた経営者の頭の中には、明日のお金を稼ぐ分野と10年後にお金を稼ぐ分野の事業ポートフォリオがあり、誰が何と言おうと10年後の成長分野に投資を続けます。そのために、株主や社員、社会に考えと進捗を示し、理解を得ることが欠かせません。

米倉氏の母校ハーバード大学は、ロースクールやビジネススクールでしっかり稼ぎ、すぐには役立たない量子力学や哲学でも世界最高峰の研究を続けています。戦前の理化学研究所でも、所長の大河内正敏が「役に立たないかもしれない」と悩む若手研究者を励まし、のちのノーベル賞受賞者を生む土壌をつくったといいます。短期的に役立たないものにも投資できる体制をつくること自体が、イノベーションだと米倉氏は言います。

稼ぐ力を高めるには、具体的な目標設定が欠かせない

日本が存在感を取り戻すには、しっかり稼ぐことを明確な目標にすることが大事だと米倉氏は言います。曖昧な言葉に逃げるのではなく、「1人当たりの労働生産性で少なくとも10位以内に入る」といった具体的な目標を示すことが必要です。

その手本として米倉氏が挙げるのが、高度経済成長期に池田勇人首相とエコノミストの下村治氏が推進した「国民所得倍増計画」です。「10年以内に国民所得を2倍にする」という、シンプルで具体的な目標でした。もちろん、今の経営環境で生産性と利益を上げるのは簡単ではありません。だからこそ、絶えざるイノベーションを繰り返し、パーパスを社員に語り、ウェルビーイングなあり方を模索する必要があります。手段は目的とセットで初めて意味を持つのです。

「世界に日本があってよかった」と言われるために

米倉氏は、ないものねだりではなく、今ある日本の強みをより強くすることが大切だと言います。シンガポールの研究機関が東南アジアの有識者に行った調査(2023年)では、平和・安全保障・繁栄の面で最も信頼できる国として日本が1位でした。品質がよい、納期を守る、国際法に則って行動する、裏切らない――そうした点が評価されているのです。

日本が強めるべき強み(米倉氏) 内容
信頼性の高い商品 品質と納期を守るものづくり
国際的な商慣行の遵守 国際法に則った貿易・外交
途上国への貢献 ODAやJICAを通じた開発支援。電力などのインフラで信頼される技術と支援

出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成

「口角を上げて働く」と、ワーク・ライフ・バランスを「一生」で考える視点

米倉氏は、イノベーションを活発にするには、言葉を使わず具体的な目標を掲げることに加え、口角を上げて働くことが大切だと言います。ウェルビーイングに関するデータでは、口角を上げて働く人は生産性で1.3倍、創造性で4倍高かったといいます(米倉氏の紹介による)。

また米倉氏は、ワーク・ライフ・バランスは1日単位ではなく、一生の中でどうバランスを取るかで考えるべきだという独自の考えを持っています。若いうちに仕事に打ち込んだ経験が今につながっているという、米倉氏自身の経験に基づく見方です。なお、ワーク・ライフ・バランスについては、長時間労働の是正を重視する立場など、さまざまな考え方があります(川口章教授の解説記事なども参照してください)。

デジタルへの早期投資と、事業承継というチャンス

人手不足への対応として、米倉氏はデジタルへの早期投資を挙げます。デジタルは眠くならず、お腹も空かず、賃上げも求めません。労働力不足と賃上げの流れを考えれば、早くデジタルに投資した企業が勝つ。人間以外でできることはどんどんデジタルに任せていくべきだと言います。

さらに米倉氏は、後継者不足を逆にチャンスと捉える視点も示します。中小企業庁の試算では、経営者の高齢化が進む中で後継者が決まっていない中小企業が多く、このまま廃業が進めば、多くの雇用とGDPが失われるおそれがあるとされています。技術も顧客もあり黒字なのに後継者がいない会社があるなら、「自分が社長になってやろう」という覚悟があれば、一国一城の主になれるかもしれません。地方創生にとっても大きなビジネスチャンスであり、地方銀行もM&Aの担い手となる経営者の発掘に力を入れているといいます。

目的から逆算して、どんな人材を育て、どこに投資するかを決めるには、それを支える人事の仕組みづくりも欠かせません。

目的から逆算した人材と制度を設計する

「何のために」という目的を明確にし、そこから必要な人材や役割、評価の仕組みを逆算して設計することが、稼ぐ力を高める土台になります。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援します。

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中小企業は「ディファレントな道」と「プライシング」で勝つ

最後に米倉氏は、中小・中堅企業に向けて、他社と同じことをしていてはだめで、ディファレントな方向に進む必要があると語ります。代替されないもの、自社にしかできないものをつくることです。

採用でも同じです。「大企業並みの給料です」と言っても人は来ません。中小企業の選択肢は、「大企業以上の給料です」と言うか、まったく違う待遇や仕事の面白さを示すかの2つしかないと米倉氏は言います。そして、「自分たちはここに向かっている」という旗を立てることが大切です。

価格決めを「科学」する

米倉氏が特に重視するのがプライシング(価格決定)です。日本企業の多くは、コストに利益を上乗せするか、同業他社と比べて価格を決めています。これに対し、海外の先進企業は自社の価値を十分に理解したうえで価格を決めます。

  多くの日本企業 海外の先進企業
価格の決め方 コストに利益を上乗せする/同業他社と比べる 自社が提供する価値を理解し、その価値に見合う価格を設計する
結果 良い部品をつくっても、利益の多くを取引先に取られやすい 価値に見合う利益を得て、社員に高い給料を払える

出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成

ある海外の最新端末を分解すると、価格ベースで部品の約4割が日本製だったという報道について、米倉氏は「なぜ自分たちでつくらないのか」と問いかけます。よい部品をつくったら、それに見合う価格で売り、社員にも速やかに高い給料を払うことが大切だというのです。

「勝ち負けの視点ではなく、ディファレントな道を探すことです。そして、価格決めを科学することです。」

――米倉氏

米倉氏のメッセージは、次の3点に集約されます。

  1. 人的資本経営は当たり前:イノベーションを生むのも人間。人に投資するのは当然であり、最も大事なのはトップ自身がリスキリングし、目的意識を持った経営者に変わること
  2. 分かったようで分からない言葉を使わない:イノベーション、ジョブ型、パーパス経営ではなく、具体的な目標を設定する
  3. ディファレントな道を探す:大企業や他国との勝ち負けではなく、自社にしかできない道を探し、価格決めを科学する

よくある質問(FAQ)

Q. アントレプレナーシップとは何ですか?

A. 米倉氏は、アントレプレナーシップとは「イノベーションを遂行する能力」だとしています。最近は「起業家精神」と訳され、会社を起こすことに意味が寄りがちですが、本来は医師や教師、給食の調理員など、誰もが発揮できる能力だと述べています。

Q. イノベーションは目的ではないのですか?

A. 米倉氏は、イノベーションは手段であって目的ではないとしています。「イノベーションを推進します」ではなく、「労働生産性のランキングで20位に復帰する」といった具体的な目的を掲げ、その達成のために新しいことを実行し、周りから「それはイノベーションだ」と言われるのがあるべき姿だと述べています。

Q. 日本の労働生産性はどのくらいですか?

A. 日本生産性本部の「労働生産性の国際比較2025」によると、2024年の日本の時間当たり労働生産性は60.1ドルでOECD加盟38カ国中28位、就業者1人当たりでは98,344ドルで29位です。米倉氏は、日本人が働いていないのではなく、働き方が間違っていると指摘しています。

Q. 中小企業はどのように差別化すればよいですか?

A. 米倉氏は、他社と同じことをせず、代替されない自社にしかできないものをつくる「ディファレントな道」を探すことを勧めています。採用では大企業以上の給料か、まったく違う待遇や仕事の面白さを示すこと、価格はコストや他社比較ではなく自社の価値から科学的に決めることが重要だとしています。

Q. 人手不足にはどう対応すればよいですか?

A. 米倉氏は、デジタルへの早期投資を挙げています。デジタルは眠くならず、賃上げも求めないため、人間以外でできることはどんどん任せるべきだとしています。また、後継者不足の中小企業を引き継ぐことは、覚悟のある人にとって大きなチャンスだとも述べています。

まとめ:「何のために」を明確にし、ディファレントな道を進む

  • イノベーションもジョブ型も手段。問われているのは「何のためにやるのか」という目的語
  • アントレプレナーシップは起業だけでなく、誰もが発揮できる「イノベーションを遂行する能力」
  • 短期的に役立たないものにも投資できる体制をつくることも、経営者のアントレプレナーシップ
  • 稼ぐ力を高めるには、労働生産性や賃金などの具体的な目標設定が欠かせない
  • 中小企業は、デジタル投資と事業承継の機会を生かし、ディファレントな道と科学的なプライシングで勝つ

流行の言葉ではなく、「何のために」という目的を自分の言葉で語ること。それが、日本企業が再び稼ぐ力を取り戻し、「世界に日本があってよかった」と言われるための出発点です。

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