一橋大学名誉教授の米倉誠一郎氏は、世間でいう「ジョブ型雇用」の実態は、年功序列や終身雇用をやめて成果主義に移ることだと指摘します。そのうえで、本当に難しいのは、表に出にくい貢献まで見極めて評価する「真の成果主義」であり、そこで問われているのは経営と人事の力だと語ります。
人的資本経営、パーパス経営、イノベーション経営、ジョブ型――経営や人事の世界では、新しい言葉が次々と生まれています。イノベーション研究の第一人者として長く日本企業を見てきた米倉氏は、こうした曖昧な言葉に逃げず、「何が問題なのか」に向き合うべきだと訴えます。
本記事では、米倉氏へのインタビューをもとに、日本企業が人に投資してこなかった背景、人的資本経営の本当の目的、人事に求められるプロとしての適材適所、トップのマネジメントのアップデート、経営者が示すべき覚悟と数値目標、そしてジョブ型と成果主義の関係について解説します。
この記事でわかること
・日本企業は「雇用」は守ってきたが、「人」に投資してこなかった
・人的資本経営の目的は「高収益企業をつくること」
・人事に求められる、プロとしての適材適所
・経営者が曖昧な言葉に逃げず、覚悟と数値目標を示すべき理由
・ジョブ型の実態と、見えない貢献まで評価する「真の成果主義」
取材協力:米倉 誠一郎(よねくら せいいちろう)氏
一橋大学 名誉教授、デジタルハリウッド大学大学院 特命教授(取材時)。一橋大学社会学部(1977年)および経済学部(1979年)卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了(1981年)。ハーバード大学Ph.D.(歴史学、1990年)。1982〜2017年、一橋大学イノベーション研究センター助手、助教授を経て教授、2008〜2012年同センター長。2012〜2014年プレトリア大学ビジネススクール(GIBS)日本研究センター所長を兼務。2017〜2024年法政大学大学院教授。2020年よりソーシャル・イノベーション・スクール(CR-SIS)学長、2021年より世界元気塾塾長、2024年よりデジタルハリウッド大学大学院特命教授。専門はイノベーションを核とした戦略と組織の歴史的研究。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
日本企業は「雇用」は守ったが、「人」に投資してこなかった
米倉氏は、人的資本経営が改めて議論される背景を2つの点から説明します。
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| ① 本当に「人」を大事にしてきたのか | 1980〜90年代、日本企業は人を大事にすると言われた。確かに雇用は守ってきたが、人そのものを大事にしてきたのかが問われている |
| ② 人にもモノにも投資してこなかった | 大企業は収益を上げながらも、内部留保や株主配当を厚くし、この20〜30年、賃金はほとんど上がっていない。技術が大きく変わった時期に、人にもモノにも投資を怠った |
目まぐるしく変化する社会は、最も適応能力の高い「人」に投資せずに対応できるほど甘くはないと米倉氏は言います。どんな機械よりも人間の適応能力のほうが高く、それを高めておかなければ、機械さえ使いこなせなくなってしまうのです。
人的資本経営の目的は「高収益企業をつくること」
米倉氏がまず求めるのは、人的資本経営、パーパス、イノベーション、ジョブ型といった曖昧な言葉を使うのをやめ、「問題は何なのか」を考えることです。企業が目的や理念を持つのは当たり前であり、人がカネ以上に大事なことも当たり前だといいます。
そうした言葉に逃げる一方で、「研究開発に投資し、付加価値の創造と差別化を進め、高い競争力で高い収益を上げる」という経営の基本ができていない、と米倉氏は指摘します。イノベーションも、ウェルビーイングでさえも、高収益企業をつくるための手段であって目的ではないというのが米倉氏の考えです。
| 人的資本経営の要素 | 米倉氏の考え |
|---|---|
| 目的 | 高収益企業をつくること |
| 人への投資 | 社内研修の充実に加え、外部研修や大学院などで個人がスキルを高めることを、企業が適切に支援する |
| 適材適所 | 社内だけでなく社外も含めて見極める。能力を自由に発揮できないなら、ベンチャーや中小企業など社外へ送り出すことも選択肢 |
| 新たなスキルの導入 | 外部から新しいスキルを持つ人材を迎える |
出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成
最近の人的資本経営では、人的資本の所有権は会社ではなく個人にあるという前提に立ちます。人材を囲い込むことを中心に考えてきた日本企業にとっては勇気のいることですが、本当に人を大事にするなら、時と場合によっては雇用さえ守らないことも必要であり、雇用の流動化も人的資本経営の選択肢だと米倉氏は語ります。
人事に求められる「プロとしての適材適所」
米倉氏は、ヒト・モノ・カネ・情報のうち、日本企業がプロの目で真剣に考えてきたのはカネだけだったのではないかと言います。資本効率や投資ポートフォリオにはプロが当たっていても、人材育成や適材適所を、プロの人事が科学的根拠に基づいて本気で考えてきたとは思えないというのです。
米倉氏が例に挙げるのは、マッキンゼーの人事部です。重要な経営資源が人しかない同社の米国本社では、人事部が社員一人ひとりとの1on1面談を年間で合計百数十時間も行い、社員が「人事のマネージャーは母親より自分のことを知っている」と言うほどだといいます。人事が時間を使って社員を深く理解すれば、真のスキルや足りないものが見え、適材適所やスキルアップのプログラムも見えてくるのです。
トップのマネジメントこそアップデートが必要
米倉氏は、最もアップデートされていないのはトップのマネジメントスキルだと指摘します。その理由として、次のような点を挙げています。
| 課題 | 米倉氏の指摘 |
|---|---|
| 在任期間の短さ | GEは130年の歴史で歴代CEOが十数人、1人平均10年以上務めている。日本では設立30〜40年の会社でもCEOが7〜8人いることは珍しくなく、4年前後で交代していては、トップのアップデートはできない |
| 報酬と責任 | 日本の経済基盤である企業の経営者は、世界水準の報酬を受け取り、それに見合う責任を果たすべき。報酬の開示を嫌がるのはプロとしておかしい |
| 曖昧な経営計画 | 中期経営計画が形骸化し、「パーパス経営」などの言葉が並ぶ。昔の日本企業のほうが目標がはっきりしていた |
出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成
「シェア32%」「経常利益率16%」と言えばいい
米倉氏は、経営者は「2030年までにシェアを32%にする」「経常利益率を16%にする」といった数値目標を、覚悟を持って宣言すべきだと言います。できなかったときを恐れて「パーパス経営」と言い出すのは逃げだというのです。
トップが明確な目標を掲げれば、社員一人ひとりも何をすべきかが明確になります。財務の担当者は資金効率を、研究開発部門は新商品の比率をどう上げるかを真剣に考えるようになる――それこそが適材適所だと米倉氏は語ります。
例えば3Mでは、売上の一定割合を一定期間内に開発された新商品が占めなければ事業部長が責任を問われる、という目標があるといいます(米倉氏の紹介による)。目先の売上をつくりながら、新商品の開発にも目を向けざるを得ない仕組みです。
覚悟のある経営者の共通点は「貪欲さ」
米倉氏は、覚悟のある経営者として、ファーストリテイリングの柳井正氏やニデックの永守重信氏など、創業経営者を挙げます。柳井氏は売上3,000億円ほどの時期に「もうすぐ1兆円にする」と断言していたといいます。「とんでもない会社にするんだ」という執念と貪欲さが共通しているのです。
経営者は格好のよいことを言わなくてよい。「会社を引き継いだら経常利益率をこれだけ上げる」「この商品のシェアをここまで高める」「日本で一番高い給料を払う会社になる」と言えばよい――というのが米倉氏のメッセージです。
ジョブ型の実態は「成果主義」――違いと本当の難しさ
「ジョブ型雇用」について、米倉氏は「曖昧な言葉で逃げているだけ」と言います。世間でいうジョブ型の実態は、終身雇用や年功序列をやめ、いつ入社しても辞めてもよく、職能に応じて処遇する成果主義に雇用体系を変えることだというのです。
| 世間でいう「ジョブ型」 | 米倉氏のいう「真の成果主義」 | |
|---|---|---|
| 中身 | 年功序列や終身雇用をやめ、成果に応じて処遇する | 目に見える成果だけでなく、そこに至るプロセスや見えにくい貢献まで評価する |
| 評価の対象 | ゴールを決めた人(目に見える成果) | ゴールにつながるパスを出した人、縁の下の力持ちまで |
| 難しさ | 比較的わかりやすい | 一人ひとりの見えない貢献を見極める必要があり、人事の力が問われる |
出典:米倉氏への取材をもとに編集部作成
サッカーにたとえる「真の成果主義」
米倉氏は、成果主義の難しさをサッカーにたとえます。得点王を探すのは簡単です。しかし実際には、ゴールを決めた選手にボールを渡した人がいて、その前に効果的な縦パスを出した人がいるかもしれません。そこまで見なければ監督とは言えないのです。
「成果だけを見てて良いのかということ。成果が出るプロセスも見ておかないといけません。」
――米倉氏
会社の仕事の8割ほどは、成果が見えにくい仕事だと米倉氏は言います。それを評価するのは並大抵のことではありません。米倉氏の師である一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏は、飲みに誘うときに「今日は豊かな暗黙知を共有しに行こう」と言ったそうです。場を共有すると人の暗黙知がよくわかる――そうした機会が減る中で成果主義に移るなら、人事は今まで以上に、社員がどんな貢献をしているかを本気で見なければならないと米倉氏は語ります(ジョブ型の運用のポイントは、一守靖教授の解説記事でも紹介しています)。
縁の下の力持ちもきちんと評価される仕組みがあれば、社員は報われていると感じられます。そのためには、成果とプロセスの両方を見る評価の仕組みが欠かせません。
成果とプロセスの両方を見る評価制度を
目に見える成果だけでなく、そこに至るプロセスや見えにくい貢献まで評価するには、役割と期待を明確にした評価の仕組みが欠かせません。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援する人事制度改革プラットフォームです。
情報開示は「2050年の日本企業」を見据えて
人的資本の情報開示について、米倉氏は、開示すること自体は重要であり、開示していないことが恥ずかしいという状況になってきたのはよいことだと評価します。ただし、1年目の開示内容にあれこれ言っても仕方がない段階であり、2030年、2040年、2050年に日本の企業社会がどうなっているのかを見据えて開示してほしいと語ります。
よくある質問(FAQ)
Q. ジョブ型と成果主義の違いは何ですか?
A. 米倉氏は、世間でいうジョブ型雇用の実態は、年功序列や終身雇用をやめて成果に応じて処遇する成果主義だと指摘しています。そのうえで、目に見える成果だけでなく、そこに至るプロセスや見えにくい貢献まで評価する「真の成果主義」こそが本当に難しく、経営と人事の力が問われるとしています。
Q. 「真の成果主義」とは何ですか?
A. ゴールを決めた人だけでなく、そこにつながるパスを出した人や縁の下の力持ちまで評価する成果主義です。米倉氏は、会社の仕事の8割ほどは成果が見えにくいため、人事が社員一人ひとりの見えない貢献を本気で見極める必要があると述べています。
Q. 人的資本経営の目的は何ですか?
A. 米倉氏は、人的資本経営の目的は高収益企業をつくることだとしています。そのために人的資本に投資し、社内外の適材適所を見極めることが必要であり、イノベーションやウェルビーイングもそのための手段だと述べています。
Q. なぜ経営者は数値目標を示すべきなのですか?
A. 米倉氏は、「パーパス経営」のような曖昧な言葉ではなく、「シェアを32%にする」「経常利益率を16%にする」といった数値目標を覚悟を持って宣言すべきだとしています。トップが明確な目標を掲げれば、社員一人ひとりが何をすべきかも明確になり、適材適所につながるためです。
Q. 人事部には何が求められますか?
A. 米倉氏は、カネと同じように人についても、プロの目で科学的根拠に基づいて適材適所を考えることが求められるとしています。例えばマッキンゼーの人事部は社員一人ひとりとの1on1面談に多くの時間を使い、社員を深く理解しているといいます。
まとめ:言葉ではなく、目的と覚悟で経営する
- 日本企業は雇用は守ってきたが、人にもモノにも十分に投資してこなかった
- 人的資本経営の目的は高収益企業をつくること。イノベーションやウェルビーイングは手段
- 人事は、プロとして科学的根拠に基づく適材適所に本気で取り組む必要がある
- 経営者は曖昧な言葉に逃げず、数値目標と覚悟を示す。トップのマネジメントこそアップデートが必要
- ジョブ型の実態は成果主義。見えない貢献まで評価する「真の成果主義」には、経営と人事の力が問われる
後編では、「イノベーションは手段であって目的ではない」という米倉氏の考え、誰でも発揮できるアントレプレナーシップ、稼ぐ力を高める目標設定、「世界に日本があってよかった」と言われるための強み、そして中小企業がディファレントな道で勝つ方法について解説します。
社員一人ひとりを深く理解するために
見えない貢献まで評価し、本当の適材適所を実現するには、社員一人ひとりが何を大切にし、どう働いているかを理解することが出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」は、生成AIで従業員の属性や組織の特性に合わせた質問を作成し、組織の状態を迅速にきめ細かく可視化します。
▶ 後編:アントレプレナーシップとは?「イノベーションは手段」――目的語のある経営と、中小企業がディファレントな道で勝つ方法(内部リンク)
▶ インタビュー全文:人的資本経営は当たり前。曖昧な言葉に振り回されるな(前編)(JOB Scopeマガジン)