ISO 30414とは、人的資本に関する情報をどの指標で測り、社内外にどう報告するかを定めた国際規格です。慶應義塾大学大学院の岩本隆特任教授は、開示義務への対応よりも、社内で人的資本のデータをそろえる「内部報告」こそが人的資本経営の本質だと語ります。
2020年の「人材版伊藤レポート」、2022年の「人材版伊藤レポート2.0」、そして2023年3月期からの有価証券報告書での人的資本開示の義務化をきっかけに、人的資本経営への取り組みは着実に広がってきました。
本記事では、人的資本報告の国際規格ISO 30414のリードコンサルタント/アセッサー認証を日本で初めて取得した岩本特任教授へのインタビューをもとに、金融資本主義から人的資本主義への流れ、人的資本開示の国際標準化の動向、日本企業の開示の現状、開示が「二極化」ではなく少しずつ広がっている理由、そして「内部報告」が本質である理由について解説します。
この記事でわかること
・金融資本主義から人的資本主義へのパラダイムシフト
・ISO 30414とは何か、ISSBなど人的資本開示の国際動向
・日本企業の人的資本開示の現状と、人的資本報告書を出す先進企業
・人的資本開示は「二極化」ではなく、少しずつ裾野が広がっている
・開示義務への対応よりも「内部報告」が本質である理由
取材協力:岩本 隆(いわもと たかし)氏
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任教授(取材時)。東京大学工学部金属工学科卒業、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院工学・応用科学研究科材料学・材料工学専攻Ph.D.。日本モトローラ、日本ルーセント・テクノロジー、ノキア・ジャパン、ドリームインキュベータを経て、2012年6月から2022年3月まで慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授。2018年9月より山形大学学術研究院産学連携教授。2022年12月より慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授。人的資本報告の国際規格「ISO 30414」のリードコンサルタント/アセッサー認証を日本で初めて取得。「HRテクノロジー大賞」審査委員長(取材時)。著書に『人的資本経営 まるわかり』(PHPビジネス新書)、共著に『企業価値創造を実現する 人的資本経営』(日本経済新聞出版)など。
聞き手:JOB Scopeマガジン編集部
金融資本主義から人的資本主義へ――パラダイムシフトの背景
人的資本主義とは、財務諸表の数字に偏った金融資本主義に対し、人材に価値を置く資本主義の考え方です。岩本特任教授は、その流れを次のように説明します。
| 時期 | 起きたこと |
|---|---|
| 2008年 | リーマン・ショックをきっかけに、金融工学と財務情報に偏った金融資本主義が世界的に批判される |
| 2000年代以降 | GAFAMをはじめ、ソフトウェアやデータを活用したビジネスが巨大化。企業価値に占める無形資産の割合が高まり、財務諸表だけでは投資判断ができなくなる |
| 2010年ごろ | 最も重要な非財務情報である人材の開示について、米国で標準をつくる動きが始まる。「金融資本主義から人的資本主義へ」と言われ始める |
| 2017年ごろ〜 | 日本で経済産業省が生産性を高める産業人材政策を強化。2020年の人材版伊藤レポートを経て、日本でもようやく流れが定着 |
岩本特任教授は、世界的には十数年前からの流れであり、本当は日本ももっと早く取り組むべきだったと言います。企業も行政もその重要性に気づいておらず、「さすがに人材に取り組まないとまずい」となって打ち出した政策がようやく当たった、というのが実情だといいます。
ISO 30414とは?――人的資本開示の国際標準化
ISO 30414は、国際標準化機構(ISO)が定めた人的資本報告のガイドラインです。2018年に第1版が発行され、2025年8月に第2版(ISO 30414:2025)へ改訂されました。人的資本を11の領域に分け、内部向けの報告と外部向けの開示の双方を想定しているのが特徴です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正式な位置づけ | 人的資本の内部・外部報告のための国際規格(法的義務ではなく任意) |
| 発行 | 2018年に第1版、2025年8月に第2版(ISO 30414:2025) |
| 構成 | 人的資本を11の領域に分け、測定の指標を示す(第1版では58指標) |
| 対象 | 企業規模や業種を問わず活用でき、第2版では中小企業向けの推奨も拡充 |
出典:ISO(国際標準化機構)公表情報、岩本特任教授への取材をもとに編集部作成
ISSB・SSBJと人的資本開示の今後
もう一つの大きな流れが、ESG(環境・社会・企業統治)を含むサステナビリティ情報の開示の義務化です。国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は2023年6月に最初の基準(IFRS S1号・S2号)を公表し、日本でもサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が2025年3月に日本版の基準を公表しました。
| 対象(プライム市場上場企業) | SSBJ基準に基づく開示の適用開始(予定) |
|---|---|
| 時価総額3兆円以上 | 2027年3月期 |
| 時価総額1兆円以上 | 2028年3月期 |
| 時価総額5,000億円以上 | 2029年3月期 |
出典:金融庁 金融審議会「サステナビリティ情報の開示と保証のあり方に関するワーキング・グループ」の議論をもとに編集部作成。今後、人的資本に関する基準の検討も予定されている
岩本特任教授によると、ISSBとISOは連携しており、グローバルで共通の人的資本の開示項目を決めていこうというのが大きな方向性です。ガイドラインは出ても、義務化まではまだ数年かかると岩本特任教授は見ています。
日本企業の人的資本開示の現状
2023年3月期の有価証券報告書での人的資本開示について、岩本特任教授は「大半の企業は形式に則っただけ」だったと振り返ります。女性従業員の比率や育児休業の取得率など、義務化された項目の多くは、もともと別の法律で開示が求められていた数値でした。一方、文章で書く必要がある人材育成方針は、進んでいる企業が多くを記載した一方で、ほとんどの企業はわずかしか書いていなかったといいます。
サステナビリティ推進の専門部署と人的資本報告書
ポジティブな変化もあります。開示を機に、サステナビリティ推進室などの専門部署をつくる企業が増えました。先進企業では、東京海上ホールディングスやエーザイのように、人的資本報告書(Human Capital Report)を公表する企業も出てきています。それを見て「自社でも人的資本報告書を出したい」と考える企業が増え、コンサルティングのニーズが高まっているといいます。
| 推進体制のパターン | 特徴 |
|---|---|
| IR部門などにサステナビリティ推進室を置く | 統合報告書を出している企業に多い。人的資本の記載のために人事を巻き込んで進める |
| CHRO(最高人事責任者)がリーダーシップをとる | 以前から「企業は人なり」を熱心に実践してきた会社に多い |
人的資本開示は「二極化」ではなく、少しずつ裾野が広がっている
取材時点で、統合報告書などでサステナビリティ情報を開示している日本の上場企業は800社超で、上場企業約4,000社のうちまだ2割超にとどまります。人的資本開示は「二極化している」と言われることもありますが、岩本特任教授の見方は異なります。
「私はむしろ砂が上から徐々に流れている感じに捉えています。」
――岩本特任教授
統合報告書を出す企業は、毎年100社ほどのペースで増えているといいます。気づき始めた企業から取り組んでいるのであり、数カ月単位で見れば「じわじわ」でも、数年単位で見れば一気に広がったように見えるはずです。日本企業は成功事例が出ればすぐにまねをするため、今後さらに広がっていくと岩本特任教授は見ています。
開示義務への対応ではなく、「内部報告」こそが本質
岩本特任教授は講演などで、「開示義務への対応が本質ではない」と伝えています。人的資本報告には、内部への報告と外部への報告(開示)があります。ISO 30414でも、多くの測定指標のうち一部を外部に開示すると定めています。
| 内部報告 | 外部報告(開示) | |
|---|---|---|
| 目的 | 経営が人的資本の状態を把握し、意思決定に使う | 投資家や求職者など外部とコミュニケーションする |
| 範囲 | 人的資本に関する幅広いデータ | 内部のデータのうち、目的に合わせて戦略的に選んだ一部 |
| 位置づけ | 人的資本経営の本質 | 内部報告ができていれば、慌てずに対応できる |
外部に開示する項目だけを整えても、それは人的資本経営にはなりません。内部でデータがそろっていれば、開示のたびに慌てる必要はなく、外部とコミュニケーションする目的に合わせて、その一部を戦略的に開示すればよいのです。
そのためにも、まず人的資本のデータを社内で整理し、経営が使える形にしておくことが出発点になります。
ISO 30414に基づき、人的資本の内部報告と開示を整える
人的資本経営の本質である内部報告を整えるには、人的資本のデータを体系的に集め、経営が使える形で可視化することが欠かせません。DEFiDEの「HRキャピタルダッシュボード」は、ISO 30414に基づき、11領域58指標のデータを企業規模に応じて内部向け・外部向けに可視化・レポートできるクラウドサービスです。ISO 30414認証の準備状況も確認できます。
開示の「数」を増やし、人的資本経営そのものを伝える
開示の精度を高めるには何が必要か。岩本特任教授の答えは、精度よりも開示する項目の数を増やすことです。現在義務化されている項目は非常に少なく、それだけでは外部の人が知りたい「この企業は成長するのか」がわかりません。学生が見ても「よい企業だ」「成長しそうだ」とわかるよう、人的資本経営そのものを、データを活用しながら開示することが本質だといいます。内閣官房が2022年8月に公表した「人的資本可視化指針」もその観点に立っていますが、ガイドラインのため参考にとどまっているのが現状です。
「企業は人なり」の原点――全員の活躍と成長
岩本特任教授は、多くの経営者が口にする「企業は人なり」が形骸化していると指摘します。この言葉の原点は松下幸之助氏の考え方で、すべての人材には才能があり、その才能を引き出して活躍できるようにすること、そして人の成長が企業の成長につながることを意味しています。しかし実際には、「雇用を守る」という意味で使っている企業が多いといいます。
岩本特任教授が企業の役員会で「皆さんの会社の従業員は活躍していますか、成長していますか」と問いかけると、多いのは「8割ぐらいは活躍していない」という答えです。与えられた仕事はこなしていても、一人ひとりが活躍しているわけではない――役員同士で人材について議論すれば、30分ほどで課題が見えてくるといいます。それでも議論されてこなかったのは、人材の話が定性的で、データがなかったからです(データを使って戦略人事を進める方法は、岩本特任教授の別の解説記事でも紹介しています)。
よくある質問(FAQ)
Q. ISO 30414とは何ですか?
A. ISO 30414とは、国際標準化機構(ISO)が定めた、人的資本に関する情報を測定し、社内外に報告するための国際規格です。2018年に第1版が発行され、2025年8月に第2版へ改訂されました。人的資本を11の領域に分けて指標を示しており、法的義務ではない任意の規格です。
Q. 人的資本主義とは何ですか?
A. 財務諸表の数字に偏った金融資本主義に対し、人材に価値を置く資本主義の考え方です。岩本特任教授によると、リーマン・ショックやソフトウェアビジネスの拡大で無形資産の重要性が高まり、2010年ごろから「金融資本主義から人的資本主義へ」と言われるようになりました。
Q. 人的資本開示は今後どう変わりますか?
A. ISSBとISOが連携し、グローバルで共通の人的資本の開示項目を決めていく方向にあります。日本でもSSBJ基準に基づくサステナビリティ情報の開示が、2027年3月期から時価総額の大きいプライム上場企業を対象に段階的に義務化される予定で、人的資本の基準も今後検討されます。
Q. なぜ「内部報告」が人的資本経営の本質なのですか?
A. 岩本特任教授は、外部に開示する項目だけを整えても人的資本経営にはならないと述べています。内部で人的資本のデータがそろっていれば、経営の意思決定に使えるうえ、開示の際も慌てることなく、目的に合わせて一部を戦略的に開示すればよいからです。
Q. 人的資本開示は二極化していますか?
A. 岩本特任教授は、二極化ではなく、砂が上から徐々に流れるように裾野が広がっていると捉えています。統合報告書でサステナビリティ情報を開示する企業は毎年100社ほどのペースで増えており、数年単位で見れば一気に広がったように見えるとしています。
まとめ:人的資本経営の本質は、開示ではなく「内部のデータ」と「全員の活躍」
- 世界はリーマン・ショック以降、金融資本主義から人材に価値を置く人的資本主義へと移ってきた
- ISO 30414は人的資本の内部・外部報告の国際規格。2025年8月に第2版へ改訂された
- ISSBとISOが連携し、共通の開示項目づくりが進む。日本でもSSBJ基準の段階的な義務化が予定されている
- 人的資本開示は二極化ではなく、毎年少しずつ裾野が広がっている
- 本質は開示義務への対応ではなく、内部報告。データがあれば、開示は目的に合わせて戦略的に行えばよい
後編では、人的資本経営で重視されるKPI、エンゲージメント調査の結果と向き合う経営者の姿勢、個人にフィットした人材育成とHRテクノロジー、そして中小企業が人的資本経営に取り組む3つのメリットについて解説します。
「全員が活躍する会社」を、人事制度から
「企業は人なり」を実践し、一人ひとりが活躍・成長できる会社にするには、役割や期待、成長の道筋を明確にする人事の仕組みが欠かせません。DEFiDEの「JOB Scope」は、人事コンサルティングと人事クラウドの2軸で、経営に直結する戦略人事の制度設計から組織への定着までを支援する人事制度改革プラットフォームです。
▶ 後編:中小企業が人的資本経営に取り組むメリットとは?採用・融資にも効く理由と、重要KPIの選び方(内部リンク)
▶ インタビュー全文:人的資本経営の成功事例が続々と開示へ。今こそ、経営者の意識を変えるチャンス(前編)(JOB Scopeマガジン)