第7回
中小企業 2代目、3代目
経営者のデジタル改革奮闘記
「人生の達人になるための3つのくせ」で、
売上120億円!
~宮脇鋼管株式会社~(前編)
2024/03/26
目次
本シリーズでは業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に「DX(デジタルトランスフォーメーション)への挑戦」にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。
第1回 株式会社木元省美堂
第2回 株式会社木元省美堂
第3回 社労士法人名南経営
第4回 社労士法人名南経営
第5回 株式会社テクニカ
今回(第7回)と次回(第8回)では、宮脇鋼管(大阪市)の2代目の代表取締役社長である宮脇 健氏を取材した内容を紹介したい。同社は大阪を拠点に鋼管(主に鉄パイプ)の加工、切断、卸販売を行っている。
初代の社長(宮脇健社長の実父)が、鋼管メーカーの製造過程でできる発生管が鉄屑として売られていることに着目し、鋼管アウトレット業を行う宮脇鋼管を設立。その後、鋼管加工サービス業という新業態を開拓する。特に三次元切断などの特殊な加工で高い評価を受ける。
2代目である宮脇健社長のもと、都心や千葉、埼玉などの首都圏にも拠点を設け、東日本も視野を入れた活動をする。高さ634メートルで、タワーとしては世界第1位の東京スカイツリーの支柱の約3分の1の場所に、宮脇鋼管が加工したパイプが使われている。
宮脇健社長は1989年に大学卒業後、初代である実父が1961年に設立した宮脇鋼管に新卒として入社。主力商材「アウトレット鋼管」の加工工場や営業などを経て、1995年に代表取締役専務に就任し、初代社長の父からマンツーマンで経営全般を学ぶ。2006年に代表取締役社長となる。
宮脇鋼管株式会社 社長interview (youtube.com)
01 ―――
父からの誘い
「平成元年(1989年)4月に、新卒(関西大学卒)で入社しました。就職活動をしようと思ったのですが、1年留年をしていたからか、リクルートの就職情報誌が届かないのです。当時は、就職活動をするうえでこの情報誌がとても重要でした。
インターネットが普及する前の時代ですから、新卒者向けの情報を入手するのが難しいのです。就職情報誌にはそれぞれの会社への資料請求のハガキがついていて、これで各企業にアプローチするのが、あの頃の多くの学生のスタイルでした。それができないのですから、途方に暮れていました。
その頃、父から声がかかったのです。「会社の仕事が忙しいから、手伝ってほしい」。確か、こんな言葉だったと記憶しています。
当時は、バブル経済(1986年~91年)がピークです。銀行をはじめ、金融機関に勢いがあり、学生からも人気がありました。ただ、私は山スキーなどに力を入れていて、卒業後にこういう仕事をしていこうといった明確な考えがなかったのです。ですから、父の誘いをすぐに受け入れました。
入社日に、父が約50人の社員の前で「これが、わしのせがれです。後を継ぐから、よろしく」と言ったのです。突然のことで、ずいぶんと驚きました。それ以前に、父と向かい合い、会社のことについて話し合った経験はありません」
02 ―――
父はカリスマ性のある初代社長
1989年当時、正社員数は50人程で、売上は約30億円でした。今から思い起こすと、仕組みは十分とは言えないのかもしれませんね。あれで組織がよく動いていたな、とは感じます。
2024年現在、売上は約120億円です。この30数年、いろいろとラッキーなことに恵まれていました。父も私も付加価値を与える事業展開をするようにしてきました。
父はきっと、カリスマ性があったのでしょうね。祖父から、24歳の時に400万円を借りて1人ではじめたのです。祖父の頃は個人商店(宮脇鋼管株式会社の前身である「宮脇商店」)で、父が1961年に鋼管卸売業として法人化し、株式会社にしました。
03 ―――
「社長はぐうたらがいい」
父は職場では、いつも笑っていました。激しく怒る姿は見たことがないですね。まれに怒ったとしても、笑いながら諭す感じでした。俳優の竹中直人さんのように、「はっはっはっ」と張りのある大きな声を出して。
鉄などの仕入れには、こだわりがあったようです。うまく仕入れができれば必ず売れる、と確信しているようでした。当時は現在よりは鉄が貴重と思われていた時代ですから、そのように考えていたのでしょうね。いいものを安く買う方法は、徹底的に研究をしていました。
仕入れた後、売るのは社員に任せていました。細かいところに口出しをすることは、ほとんどしません。社員が数十人の頃ですが、それぞれに役割分担をして仕事を任せる。権限移譲も大胆にする。こんなスタイルだった、と思います。社長としてあらゆる仕事を抱え込み、自分ですべて判断するようなことはしていませんでした。
父からは、「社長はぐうたらがいい」と教わったのです。社長が権限移譲をすることなく、常に前線で仕事をしていると、社員が成長しない。そして、組織として安定的に稼ぐ仕組みをつくれない。そのように言いたかったのかもしれませんね」
04 ―――
工場勤務から、29歳で専務就任まで
「入社後、まずは本社工場に勤務しました。1日中、汗や油にまみれ、作業をしました。キズがあるためにスクラップになっていた鋼管を仕入れて、弊社独自の商品「アウトレット鋼管」に加工する作業です。まず、鋼管に傷があるか否かを選別するところから覚えました。その後、傷がない部分を切断し、加工し、納品をすることを学びました。
この本社工場では、従業員が30人程。私がもっとも若く、40~50代の方が多かったです。皆さんが丁寧に教えてくれました。
1年後に第二工場(従業員7人)に異動し、工場長になりました。工場長ではあるのですが、最初はベテランの従業員に教わる毎日でした。ずいぶんと気を使ってもらっていたようです。人を動かすことに困ることは、ありませんでした。ここでは主に入出荷や加工の納期管理に関わりました。
その後、本社で鋼管製品を運ぶトラックの配車、そして営業に携わりました。1995年に29歳で専務になってからは、社長である父のそばで経営全般的な管理に取り組んできました。
05 ―――
経営理念と「人生の達人になるための3つのくせ」
2006年に40歳で社長になるまで、父のそばで様々なことを学びました。最も強い影響を受けたのが、経営理念です。いかに大切であるか、を教わりました。その当時の経営理念は「限りある資源、限りある時間、限りない能力を活かしきる」。会社設立時から、今で言うサステナブルな志を持って事業を展開していたのだと実感しています。
強い影響を受けたもう1つは、父が言うところの「人生の達人になるための3つのくせ」。1つは、口ぐせ。よい口ぐせを使っていると、それに心が感化される。悪い口ぐせを使うと、悪い心になっていく。2つめは、笑いぐせ。笑顔でいると、心が和み、楽しくなる。周囲も楽しいでしょう。父は、実際にいつも笑っていました。3つめは、楽天思考ぐせ。
これら3つをくせにして習慣にすると、絶対に成功すると教わってきました。これは、考え方と言えるものでしょうね。たとえば、いかに鉄を仕入れて販売するかといった技術やテクニックは、実はほとんど教わっていないのです」
06 ―――
父から教わった3つのくせ
宮脇社長は、父から教わった3つのくせを次のようにホームページなどで紹介している。その一部を載せたい。
-
口ぐせ
「みんな自分の性格は自分で分かっているはずです。でもそれが本当の自分であるとはいえません。なぜならそれらはすべて、みなさん自身が自分にかかわったことを通して作った“思いこみ”にすぎないからです。つまり、本当の自分など元々あるわけではなく、思考習慣である“思いこみ”を自分の望みどおりに作りさえすれば、私たちはなりたい自分になれるという考え方です。
でもそんなに簡単に望みどおりに思いこめるのか?そのための方法こそが“よい口ぐせ”なのです。“思いこみ”は「起こったこと」ではなく、それをどんな言葉で表すかによって決まってきます。人は誰でも“口ぐせ”どおりの人生を送っています。だから“よい口ぐせ”の効果を利用すれば、思いどおりの人生を堪能することができるのです。
- 笑いぐせ
「人生、楽しいこともあれば、落ち込むこともある。たとえ表面だけの笑いであっても、落ち込んだときにこそ笑えばよい。笑顔を作ることで気持ちも回復してくるし、何より周りを明るく楽しくさせてくれる」 - 楽天思考ぐせ
「自分の人生に起こることは楽しいことばかりなんだ」と、すべてを“楽しいこと”にとらえる発想法。たとえば、「自分は生活のために仕事をしているんだ」と考えていたら、自然にいまの生活に必要なだけの収入が入るライフスタイルに制限され、その
結果、人生が発展していくこともありません。でも、「仕事が、もっともっとうまくいくぞ。生活だって、もっともっと豊かなものにするぞ」と考えていれば、体が自然に“より高いレベルの仕事”や“より快適な生活”を目指すようになります。
弊社の場合に例えると、新規のお客様に鋼管の切断加工を売りに行った営業マン。ところがそのお客様は鋼管を定尺で買って、自社内で切断加工している。
一人は、「ダメだ。みんな自社内で切断加工している。うちから売るもの何も無い!」と言って、帰ってきてしまいます。
でも、一人は、「やった!定尺で買って、自社内で切断加工している。うちが品質や価格、納期にメリットのある切断加工をすれば売れるぞ!」と考えて、積極的に提案していくという話です。“楽天思考”でいれば、あらゆる現象が“ツキ”に転換し、人生がどんどんいい方向に進むのです。
07 ―――
東京に進出
「社長就任時は社員数が約100人で、売上は70億円前後。その頃の1つの課題が、東京に進出すること。拠点は創業時から大阪でしたが、さらに業績を拡大しようとする場合、東京に進出する必要があると考えていました。大阪を中心とした関西圏だけでは業績は伸び悩む可能性があったのです。
もちろん、首都圏を拠点にする同業会社は多数ありますから、安易な思いで進出したのではありません。弊社は長い経験やそこで培った信用、実績があります。これらを活かすことができれば、ある程度は上手くいくのではないかな、と思いました」
08 ―――
投資は失敗をしても、取り戻せる範囲でする
そこでまず、2007年にアンテナショップを都心(中央区茅場町)に設け、様子を見ることにしました。すると首都圏や東日本の同業でパイプの加工をしている会社は少ない、と感じたのです。そこで2008年に浦安市(千葉県)に加工センターを開設し、関東地区での鋼管加工を開始しました。本社(大阪市)から社員を転勤させ、態勢を少しずつ整えました。
私は、慎重派だと思います。投資は失敗をしても、取り戻せる範囲でするようにしています」
宮脇鋼管浦安加工センター/ファミリー紹介 (youtube.com)
第1回 株式会社木元省美堂
第2回 株式会社木元省美堂
第3回 社労士法人名南経営
第4回 社労士法人名南経営
第5回 株式会社テクニカ
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