シリーズ あの人この人の「働き方」
この人に「キャリア」あり!
600万円の架空請求事件で苦しんだ、
不屈の社労士が試みた起業
~ 社会保険労務士 中村紳一(その2)~
今回は前回に続き、社会保険労務士で埼玉一人親方部会理事長、一般社団法人埼玉労災事業主協会代表理事の中村紳一さん(63歳)を取材した。3回完結の2回目。
中小企業で最も多い経営課題の一つが、採用失敗。特に従業員数十人の規模では、1人の雇用のミスマッチが業績やチームに深刻な影響を与える。今回は、その問題にぶつかりながらも克服しつつある内容となる。ゼロから創業し、売上約5億円を達成した社会保険労務士・中村紳一氏(埼玉一人親方部会理事長)に、実際の採用失敗体験と、そこから導き出した「中小企業が今すぐ使える採用成功ノウハウ」を深く聞いた。
目次
01 ―――
まとめ
衝撃の採用失敗事例:600万円の架空請求事件
中村氏の事務所で起きた最も痛い失敗は、従業員の紹介で入社した男性によるもの。「ITに強いと本人からPRされ、元高校教員という身元も確認したうえで採用した。しかし、入社後、次々と外部IT会社に外注。成果物が一切ないまま、事務所のホームページ制作だけで600万円を超える請求書が届きました」
社内調査により、男性が外注先にキックバックを受け取っていたことが発覚。中村氏は「大きな裏切りを感じ、しばらく新しく人を雇うのが怖くなった」と語る。
中小企業が採用で苦労する本当の原因
中村氏は社労士として40年近く、中小企業の採用相談を受けてきた経験から、以下の点を特に指摘する。
- ・少子化による応募者数(エントリー)の激減
- ・個人情報保護法で前歴確認が困難
- ・紹介採用時の油断(最大の落とし穴)
「(従業員や取引先などの)紹介だから大丈夫と思いがちですが、こちらのガードが下がることでリスクが高まります。小規模事業ほど、1人の問題社員が組織全体に与えるダメージは大きい」
中村氏が実践する「採用成功の鉄則」とおすすめ面接質問
数々の失敗から学んだ中村氏の採用ノウハウは、以下のとおり。
1. 優秀さより「誠実さ」を最優先
能力や華やかな経歴より、まずは「悪い人を入れない」ことを徹底。誠実でまじめに取り組む姿勢を持つ人を重視。
2. 効果的な面接質問例(必ず聞くべき質問)
- ・「これまでの仕事で一番の失敗エピソードを教えてください」
- ・その失敗について深掘り → 「他責(他人のせい)にするか、自責(自分の責任)で考えるか」を確認
「失敗経験がないと言う人や、すべて上司・会社のせいにする人は採用しません。面接で誠実に対応できない人は、入社後も同じだと考えています」
3. 転職回数が多い人は要注意
「特に2〜3年で頻繁に転職している人は早期退職リスクが高いため、警戒しています」
4. 入社後の育成体制を整える
普通のレベルの人でも成長できる仕組み作りも重要。配置転換が難しい小規模会社ほど、事前の見極めと事後のフォローが鍵となる。
AI時代でも「人を見抜く力」は人間にしかできない
中村氏は前回(その1)の記事で取り上げたように、生成AIを就業規則作成や労務相談で積極活用しているが、「採用の特定部分だけはAIに頼れない」と強調する。「人を見抜くのは本当に難しい。これほど難しい仕事は少ないと思います」
現在は慎重に採用を進めながら、毎日ランチ全額負担などの取り組みで従業員の定着率向上にも力を入れている。
02 ―――
600万円の架空請求事件
前回の記事で説明したように、中村紳一氏は創業の2011年から現在に至るまでに従業員の採用においては、中小零細企業の経営者が味わうような苦労はひととおりしてきた。最も深刻であった事例が次のものだ。従業員の紹介で男性を採用したが、大きなトラブルが続き、3年前に退職したという。

埼玉労災一人親方部会のオフィス(埼玉県さいたま市)
「男性は採用試験時にITデジタルに強いとPRし、私も期待して受け入れたのです。身元も確かに思えました。県内の高校の元教員だったのです。入社後、しばらくするといろいろな理由をつけて次々とIT系の会社に外注します。1人でできるようなレベルの仕事にも関わらず、外注する。私も、彼の「外注したい」という申し出を当初は承諾したのです。
やがて、外注先の会社から数百万円の請求書が届きます。さらに常識外の額の請求書が次々と来ました。こちらは、この時点で成果物を受け取っていません。たとえば、事務所のホームページの請求書が600万円を超えています。1ページたりとも作ってもらっていない。なぜ、こんな金額になるのか理解できません。
うちのホームページであれば、数十万円前後で作ってくれる制作会社がたくさんあります。先方の会社に600万円の根拠を求めたのですが、説明が全くありません。その後、うちの事務所内で調べると、(前述の)男性従業員がこの会社に発注してキックバックをもらっていたのです。前々から、双方はつながりがあったようです。つくづく残念でしたし、裏切られた思いでいっぱいでした。退職後にわかってくるのですが、男性は多額の借金があったようでした。夜、いろいろなところでお金を使い続け、借金が膨らんでいたらしい。事実ならば、ますます理解ができません」
03 ―――
従業員の紹介というところに落とし穴があった
従業員の紹介で、この男性を雇った。紹介を受け、面接を行い、念入りに確認したはずだ。それでも、問題が発生する。中村氏はあらためて、小さな事務所や会社の採用の難しさを思い知った。
「従業員の紹介というところに落とし穴があったのでしょうね。全く接点がない人を採用しようとする際には、こちらも警戒します。従業員の紹介となると、ガードが下がるでしょう。決して甘くしていないつもりでも、きっと甘かったのでしょうね。本当に勉強になりました。
この従業員の代わりを採用していません。一人が欠ければ、そこでうまくいかなくなるはず。ところが、それとは反対になる。人間関係が一段と良くなり、チームワークが強くなり、仕事のスピードや質が上がり、お客さんからの信用を得てさらに契約が増え、業績が上がる。不思議ですが、案外と見落とされがちなところです。
小さな事務所や会社では、従業員の人間関係が大企業よりは相当に密です。これが強さでもあるのですが、壊してしまう人が1人いるだけで皆の意識や気持ちが不調になる。ここから、さまざまな問題が生じるのです。経営者として常に注意をして、この関係を壊さない人を採用し続けるべきでしょうね」
04 ―――
AIを駆使しようと限界がある
社労士として1989年から中小企業の労務管理に関わってきたが、多くの中小企業でこれに近い問題が起きていると指摘する。
「小さな会社では求人の募集広告を出したところで、エントリーは数人か、せいぜい10数人。少子化でますます減っている。少ない中で、あえて無理をして選び、内定を出すとひどいことになりうる。現在は個人情報保護法もあり、採用時に前歴照会するのが難しい。面接試験で過去を確認するものの、完全に見抜くことはなかなかできません。これは本当に怖い。
そこで従業員や株主、取引先の紹介で新たに雇う時があります。エントリーが少ないから会社が求める人には巡り合えないケースが多い。そんな時に紹介してくれるのだから、大変にありがたい。とはいえ、リスクもあります。紹介による採用には、雇う側の心理的なハードルが下がってしまう傾向はあるのです。つまり、「信用できる人の紹介だから大丈夫だろう」と思ってしまいがち。結果として甘い採用になり、入社後に混乱が生じる。このあたりは、AIを駆使しようと限界があるのではないでしょうか。人を見抜くのは、本当に難しい。これほどに難しい仕事は少ない、と思います」
05 ―――
能力や実績よりも、誠実な人を採用すべき
「創業時から採用や定着、育成は想像以上の苦労だった」としみじみと振り返る。その経験を通じて採用すべきタイプについて数えきれないほどに考える機会があった。

埼玉労災のマスコットキャラクター「ワルぐま」
「最も大切なのは、悪い人を取らないこと。この規模の事務所や会社の採用においては、そのような人を雇うと致命的になりえます。従業員が少ないから、配置転換ができない。人間関係もこじれる。組織として動くことができなくなる。
シビアな見方かもしれませんが、この規模において世間相場で優秀な人がエントリーしてくる可能性は低い。そんな人と仕事をしたいのですが、今のところは難しいと思います。従業員の中にはメガバンクで支店長をしていた60代の男性がいますが、血縁関係があるから在籍しているのです。全くコネクションがない中で、このレベルの人材を採用するのは難しいかもしれません。
では、どういう人を採用すればいいのか。能力や実績うんぬんよりも、まずは誠実な人を採用すべき。社会人としての実績がさほどなくとも、入社後にきちんと仕事を覚えようとする姿勢や意識があるか否か。まじめに仕事に向かい合えるかどうか。そして、密な人間関係があるのでそこに入り、仲良くできるか…。
このあたりに私たちが不安を感じる人は採用しないようにしています。従業員皆が誠実に仕事に取り組み、いい働きをしています。私は、これで十分。(前回の記事で説明したように)ほぼ毎日、ランチをごちそうするのも楽しんで出勤してくれるのを願っているからです
今、私が述べたのは中小企業全般に言えることでしょう。優秀な人材を雇うことに力を注ぐのも必要かもしれませんが、ごく普通の人で構わないからまずは誠実な人を採用するのを心掛けたほうがいい。そのような人も仕事を早く覚えられる仕組みやシステムを少しずつ作っていくべきです。誰が取り組んでも、一定のレベルまで達するようにしたい。仕組みやシステムを作るのはうちも含め、小さな会社の苦手なところでしょうが、ここにこそ力を入れるべき。その方が組織として強くなります。私が力を入れてきたところでもあります」
06 ―――
「仕事において失敗したエピソードを教えてもらえないですか」
「中途採用の場合、履歴書や職務経歴書を丁寧に読み込むべき」と説く。この際、中村氏はAIも使い、情報を集め、分析する。特にこだわる1つは、転職回数。多すぎる人を採用するのを避けている。
面接では、特定の質問を毎回する。エントリー者の回答をさらに深く掘り下げ、その場で質問を繰り返す。確認したいのは、「他責か、自責であるか…」。ここをしつこいほどに徹底して聞く。採用責任者である自分が納得するまで確認する。採用で苦しんできた中村氏流の面接と言える。
「職歴を見る限りにおいては優れていると思う人は時々いるのですが、回数が多いのはよろしくない。仮にここに入ったとしても、早いうちに辞めていくのではないかと感じます。数年で辞めると仕事を覚えられないし、楽しくもないでしょう。人間関係も作れないのではないでしょうか。たとえば、2年ごとに会社を辞めた人は入社しても2年前後で退職するケースが多い。40年近く、社会保険労務士をして多くの中小企業の採用に関わったのですが、これは間違いない。
面接では、前職や前々職のたとえば仕事の内容やレベル、職場の様子、人間関係などいろいろと丁寧に確認したほうがいい。その際に「会社がよくなかった」「上司が悪かった」というようなことを話す人の採用はやめたほうがいい。私の経験で言えば、こういう人が定着し、きちんと働くケースはほとんどない。
よく聞く質問は、「これまでの勤務で仕事において失敗したエピソードを1つ教えてもらえないですか」。そうすると、「失敗した経験がありません」と答える人がいますが、基本的に採用しません。私も含めて大多数の人が何らかの失敗はしているもの。それに対してきちんと向き合っていない姿勢に強い疑問に感じます。面接という重要な場において誠実に対応していないと感じる。それができない人は、入社後もいい仕事はできないと思います。
失敗の理由を語った後、深く掘り下げて何度も聞いていきます。多くの人は、上司や周りの人や会社のせいにします。大変残念ですが、そのほとんどを不採用にします。本来は、このぐらいのことは語ってほしい。「自分のこういう部分がこんな具合に足りなかった。これによって、こういう問題が生じてしまった。今ではこう思っていて、こうするべきだった。こちらの会社に入社したら、こんな具合にその経験を生かしていきたい」。
厳しいかもしれませんが、人手が足りないからハードルを下げると、3年前と同じことになりかねません。だから、私自身も気をつけています。ここも、AIができないところではないでしょうか」
07 ―――
人を許し、寛容にならないと育て上げるのはまず不可能
中村氏は社労士事務所を1人で経営していた頃から、中小企業の社長が真剣に従業員を育成しようとしているのか、疑問に感じる時があるという。育てるならば従業員を怒ったり、叱ったりするのではなく、まずは社長自ら失敗を含め、受け入れるべきとも語る。それを「寛容の精神」と呼んでいる。
「人を許すことができなければ、いけないでしょうね。育てて定着率をよくして会社を作っていこうとする場合は、まずは従業員を許すことができなければいけない。寛容の精神とも言えますよね。経験論から言っても難しいことですが、人を許していくのは大切でしょう。年を取らないと、難しいのかもしれません。私もつくづく身にしみます。
許すことができない場合もあります。たとえば、事務所や会社のお金を盗んだ従業員を許せと言われても、経営者としてはできない。一方で、従業員が仕事の出来が良くなかったとします。その一つ一つをあげ足を取るかのように否定し、叱りつけるのは好ましくない。それでは従業員との間で信用関係を作るのは難しい。定着しないし、育成できないでしょうね。人を許し、寛容にならないと育て上げるのはまず不可能なのです」
編集後記
前回(その1)が、「AIに仕事が奪われていく専門家の葛藤+事業転換の物語」だったのに対し、今回(その2)は「採用と人のマネジメントで痛い目を見続けた経営者の血と肉の記録」とした。
中村氏は「負け」を認めつつ、時代や環境の変化に適応し続けている。
- ・AIに仕事を奪われても、新しい事業で5億円規模に成長
- ・採用で何度も痛い目を見ながらも、哲学を深め、仕組み作りを考えている
- ・きれいごとではなく、「誠実さ」「寛容」「人間関係」 という古典的な価値観に回帰している
これは社労士という士業でも、AI時代の話でもなく、「経営者として、人生としてどう生きるか」 という普遍的なテーマと言える。だからこそ、経営者や会社員だけでなく、幅広い読者に響く記事になると判断し、私たち編集部は取材を試みた。「変化に苦しみながらも生き抜こうとする中小企業経営のリアル」というテーマを、痛みと希望の両面から描いたドキュメンタリーとした。
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