第13回

売上10億円を超えた
ベンチャー企業の管理職たちの奮闘

部下育成とチームビルディングの本質


2023/12/14

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01 ―――

個人事業主(自営業)として損害保険代理店をスタート   

 

今回と次回は、売上10億円を視野にしつつ、着実で確実な安定成長を続ける企業を紹介したい。 

ピー・アール・エフ(東京都新宿区、代表取締役社長 浜中健児、正社20)は1999年に創業し、主に企業や個人の財務のリスクマネジメントや損害、生命保険のコンサルティングを手掛けている。 

 

浜中社長は1990年に明治大学法学部を卒業後、住友海上(現:三井住友海上)火災保険に入社。大宮の損害調査部やつくばの自動車営業部、東京の営業部などに勤務した。 

 

30歳を目前に、東京の営業部に異動を命じられた。この時点で地方に行くことになると、出世競争では大きなハンディを背負うと思っていた。東京に戻ることは前々からある程度、手ごたえを感じていたようだ。上司から、年1回の査定評価の結果を内々に知らされていた。 

「同期生200人程の中では、上位1~2割以内に入っていたように思う。仕事が好きだった。仕事ができれば、大きな不満はなかった。今、振りかえると、"ここまでするか?"と思うほどにお客さんにサービスをしていた。契約額は、同世代の中でもかなり多かったのではないか」
 

99年に31歳の時、退職した。1つの理由に、住友海上以外の損害保険会社で扱う損害保険の販売にも関わることで、顧客志向を高めることがあった。まず、個人事業主(自営業)として損害保険代理店(以降、代理店と表記)の経営を始めた。様々な損保会社の商品を扱う「総合代理店」にした。創業時を「中途半端な思いでスタートしたわけではないが、起業が上手くいかなかった場合、会社員に戻ることも想定していた。そのリミットを35歳としていた」と振り返る。 

 

 

 

02 ―――

損害保代理店の統廃合に目をつける

 

この頃、代理店の環境は大きな曲がり角にあった。1991年にバブル経済が崩壊し、90年代後半に深刻な金融不況となる。幅広い業界で多くの企業が廃業、倒産、統廃合をした。個人事業主が経営するケースが多い代理店もその影響を受けていた。 

 

浜中社長は、50~60代の経営者が経営する代理店の統廃合に目をつけた。都内及び近郊の代理店経営者に、自らが経営する代理店「ピー・アール・エフ」の傘下に入り、ともに仕事をすることを提案した。傘下に入る場合、ピー・アール・エフは相手の代理店が保有する損害保険契約などを引き継ぎ、経営を担う。その収入保険料から発生する手数料の一部を傘下代理店の経営者に支払う。当時は、業界内でこの仕組みは広くは浸透していなかった。浜中社長が大手損保に在籍中、仮に起業をする場合、この方法で挑戦してみよう、と温めていた考えだった。 

 

03 ―――

統廃合が進んだ時代背景 

 

「顧客1社ずつに営業し、契約を成立するよりも、代理店に傘下に入っていただくほうが効率的にピー・アール・エフの経営を安定させることができる。それが、代理店やそこの顧客にとっても好ましいと思う。特に顧客にとってメリットが大きかったのではないか。たとえば、交通事故など何かの問題が生じた際に高齢の代理店の経営者よりは、素早く、正確にきめ細かな対応ができるはずだ。 

 

この時期は経営難や後継者不足に加え、インターネットの普及でITデジタルが急速に進んだ。それへの対応が迅速にできなくなり、困り果てている代理店経営者が50~60代に目立ってきた。また、経済環境が成熟期に入り、顧客のニースが多様化、専門化するにともない、保険商品の内容高度化、複雑化していた。それへの対処にも苦労をしているようだった。これらの課題は、一部の高齢の代理店経営者には死活問題になっていた。 

 

そのようなこともあり、私からお声をかけさせていただいた。代理店経営者との話し合いは、比較的スムーズに進むことが多かった。条件交渉では、代理店に相当に有利なものを提示した。代理店経営者はその内容に納得し、安心し、こちらに経営を任せることに合意していただいているようだった。合意のうえ、こちらで預かった顧客の中には、本格的な大企業も多い。20数年後の今も、当社の顧客となっていただいている」(浜中社長) 

 

「代理店に有利な条件を提示する」とは、代理店の取り分が多いために、ピー・アール・エフの取り分が少ないことを意味する。当初、浜中社長は代理店に大幅に譲ることをしても、ピー・アール・エフの経営上の問題は生じないと考えたようだ。 

 

しかし、やがて売上の割には利益が少ない、といった問題にぶつかる。当時を振り返り、「経営を安定化させるために、当初の想定よりも資金と労力が必要になった。傘下にした代理店経営者との情報共有や教育支援にも相当なコストをかけた」と語る。 

 

代理店との統廃合を進めるうえで特に気をつけていたのは、代理店経営者への教育だった。特にコンプライアンス厳守をテーマとした。週1回のペースでミーティングの機会を設け、その場で教育を続けた。代理店経営者と年齢が近い役員(現在の専務取締役)が、その役割を果たした。 


04 ―――

10億円の壁をチームビルディングで乗り越える 

  

創業の1999年から2010年頃までは、このような形で代理店を傘下にしつつ、ピー・アール・エフ独自でも営業を続けた。この時期、営業担当の正社員は3~5人いた。2023年11月現在、収入保険料は7億円程。収入保険料は、売上とも言える。代理店の規模を判断する基準の1つが収入保険料で、10億円は「中規模」と業界内では見られる傾向があるという。 

 

ピー・アール・エフ独自で主に中途採用を繰り返し、新たに人を雇い入れ、態勢を随時整えた。特に力を入れたのは、業務マニュアル(以降、マニュアルと表記)の制作と教育だ。挨拶などのビジネスマナーから、社内の人事・労務・経理・総務から、事務処理や日々の仕事の進め方、仕方にいたるまで詳細にまとめたもので、現在9刷目になる。 

 

「この業界は多数の代理店で成り立つが、その大半が個人事業主。家業であるがゆえにマニュアルがほとんどない。そのことにかねがね、問題意識を感じていた。マニュアルをつくることで新たに入社した人でも、すぐにわかるようにしておくのが、会社の本来あるべき姿ではないかと思う。まして当社の場合、中途採用者が大半で、その多くは代理店出身者であるため、マニュアルは必須と位置付けてきた」(浜中社長) 

 

年に1度、全社員参加の数日間の合宿を行う。全員でマニュアルを徹底して読み込み、話し合う。合宿とは別に、毎年1回、全員参加の2日に及ぶ会議でマニュアルへの意見や改善すべき点、問題点を出し合い、合意形成をする。日々の実務のベースがマニュアルであるが、それが形骸化しないようにするのが狙いだ。合宿や会議は、社員教育やチームビルディングの一環でもあるという。 

 

「マニュアルは、職場のルールを表したもの。仕事である以上、ルールは必要。たとえばプロジェクトごとにリーダーを設けているが、おのずとリーダーごとに進め方に個性が出てくる。そのことは問題ないが、リーダーによって、この仕事はする、あの仕事はしない、となると会社としては好ましくない。ルールを守ったうえで、リーダーは個性を生かすべき。ルールを与えることなく、リーダーにチームをまとめなさい、と指示をするのは酷なことではないか、と思う」(浜中社長) 

 



05 ―――

コミュニケーションとチームビルディング

 

チームビルディングの一環として、社員が任意で参加する社内イベントを毎年行う。軽食をしたり、バーベキューをしたりする。仮装大会も行う。浜中社長は、個々の社員とランチや夕食を機会あるごとにする。ふだんからの良好な関係づくりが、仕事をする際のコミュニケーションで極めて重要と考えているからだ。このようなイベントが多く、チームワークを重んじていることは、中途採用の面接でも繰り返し説明する。 

 

中途採用試験では、面接官である浜中社長や役員らがエントリ―者全員に必ず聞くのは、次の2つだ。 

 

「上司の言うことを聞けますか?」 

「社員みんなと仲良くできますか?」 

 

「1つめの質問では、仕事をする際に上司と意見の違いがあったりするのは構わないが、部下である以上、最終的には上司の指示には従う必要があることを確認しておきたい。 

 

2つめの質問をすると、エントリ―者の表情が曇る時がある。”できません”と答えた人もいた。そのような時は不採用にしている。特定の社員と仲良くするのは難しくない、と思う。社員みんな、と仲良くするのは容易ではないはず。それができるか否かを、確かめたい。当社では、チームワークを特に重視している」(浜中社長)

 




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06 ―――

ITデジタルへの対応をはるか前から進める


浜中社長は、創業期から機会あるごとに損害保険のあり方が進んでいると言われるアメリカへ視察を繰り返す。
ITデジタルの先進国で見たITデジタルの波は日本にも必ず来ると察し、2000年前後から取り組んできた。 

 

日本の代理店業界では今なお、損害保険会社とのやりとりではファクスを使うケースが多い。それでも、ITデジタル機器やLAN、サーバーなどの態勢を段階的に整え、ITデジタルに関する社員教育も続けてきた。そのような蓄積もあり、コロナウィルス感染拡大に伴い、2020年4月、政府により発令された緊急事態宣言直後に、全社員を対象としたテレワークをスムーズにはじめることができた。 

社員たちが在宅勤務をした際、ある問題が生じた。ほぼ毎日、顧客から大量の契約書や申込書が郵送もしくはファクスでピー・アール・エフのオフィスへ届く。在宅勤務をする社員がローテーションで2~3日に1回のペースで出社し、それらの書類を処理した。その1日で処理する書類が増えたため、時々、自宅に持ち帰り、作業をせざるを得なくなった。 

ふだんから、社内全体でファクスを扱う量や件数は多い。特に交通事故の報告書を保険会社に送る時は、約8割は依然としてファクスを求められる。「手書きの方が事故の詳細まで書くことができて、読み手である保険会社の担当者に正確に伝わりやすい」と業界では前々から思われているのだという。 

さらに問題が生じる。社員2人の自宅のスキャナーが、スムーズに稼働しなかった。家庭用機器であるために、大量の書類を一定のスピードで処理することができなかった。浜中社長は、「在宅でのスキャンが、在宅勤務の最大の盲点だった」と振り返る。その後、スキャナーを新たに購入し、社員たちに在宅勤務用として貸与している。 

 



07 ―――

緊急事態宣言発令以降、売上を増やす

 

緊急事態宣言発令以降、売上を減らす代理店が少なくない中、ピー・アール・エフは売上を拡大する。その理由の1つが、ITデジタルに精通した営業担当者たちの存在がある。 

 

感染拡大よりも前から、営業担当者は顧客とのやりとり(最初のアプローチから保険商品の説明、契約成立、フォロー)をすべてメールのみで完結させることができる。しかも、契約数や契約高は保険代理店業界の相場と照らしても高い。緊急事態宣言発令以降は、営業担当者はメールやオンラインツールを頻繁に使い、顧客とスムーズに意思疎通を図る。ほかの代理店では、そこまででできるようなレベルに依然としてなっていない場合もあるようだ。 

 

 

08 ―――

創業時からチームビルディングに力を注ぐ

 

緊急事態宣言が解除されてからは、オフィスへ出社する(社内では「リアル出社」と呼ぶ)就労スタイルと、テレワークのハイブリッドとなった。その後は、全員が状況に応じて各自の判断で使い分けている。柔軟な働き方を促すためでもある。 

リアル出社の社員は、毎日少なくとも数人はいる。扱う商品が損害保険、生命保険など個人情報に関するものであり、情報漏えいを防ぐためにもオフィスがより安全と考えているからだ。また、交通事故に遭った顧客が感情的になったり、威圧的な電話をしてきたりすることが稀にある。そうした際の対応は、オフィスの方が社員の安全管理が確実になると判断している。 


浜中社長は、創業時からチームビルディングに力を注いできた。オフィス内で懇親会を催す時には、自ら料理をつくり、社員らをもてなす。ランチや夕食も可能限り、一緒に食べる時間を設ける。こういう試みを実際にしている経営者は、実は少ない。10億円の前の段階では、創業経営者はそのような時間や心の余裕はほとんどないはずなのだ。
 

だが、チームをつくるのには時間とエネルギーが必要になる。これを続けることが、大きな意味を持つ。

 

 

 

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著者: JOB Scope編集部
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