シリーズ あの人この人の「働き方」
優れたエンターテインメントであろうとするDNA
～ 木下サーカス (後編) ～
2025/1/24
目次
ロシアのボリショイサーカス、アメリカのリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスと並び、世界3大サーカスと言われるのが、「木下大サーカス」。木下大サーカスの公演をする木下サーカス株式会社の4代目社長の木下 唯志（きのした ただし）さんに取材をした内容を紹介したい。テーマは、創業122年においていかに危機を乗り越えてきたかー。
今回は、前々回（前編）、前回（中編）に続く（後編）となる。木下サーカスは、1902年に木下社長の祖父である唯助（ただすけ）氏が中国の大連で旗揚げした。日本では、現在の本社がある岡山市で1904年にはじめて公演を開催した。父である光三（みつぞう）氏が第2次大戦直後から社長となり、経営を担う。海外での公演を成功させ、早くからグローバル展開をする。3代目として木下社長の兄の光宣（みつのり）氏がショーの質をさらに高めるが、44歳で病に倒れ、1年間ほどの闘病生活の末、他界した。
当時役員であった木下社長が1990年、40歳で4代目に就任する。1950年に岡山市に生まれ、1974年に明治大学経営学部卒業後、木下サーカス株式会社入社。社長就任時点で約10億円の負債を抱え込み、創業以降、最大の危機だったが、約10年かけて完済する。
この間、経営の大改革を試みる。社員の採用、育成や組織力を生かした営業、広報態勢などだ。さらに、ショーの質を一段と高めるような試みを続けた。20代の頃から海外のサーカスの視察を積み重ねてきた経験やそこで培ったネットワーク、堪能な語学力を生かし、海外の一流の演出家やアーティストを招く。年間観客が120万人を超え、世界3大サーカスの一角を占めるようになる。2024年11月現在、社員数は、90人。ステージごとの契約となる演出家やアーティストが20人。
01 ―――
「今日1日で自分は死ぬんだ、と覚悟を決めろ」
木下社長は、前回や前々回の記事で紹介したような経営危機を乗り越えることができた理由の1つとして剣道を挙げる。
「はじめたのは、明治大学に入学してからです。体育会剣道部ですから、高校の時にインターハイで優勝をして体育推薦で入学した学生もいました。一般入試で入学したのは、私を含め少数です。あまりにも厳しい練習のために、『もう辞めよう』と何度も思いました。体を痛めたり、疲れ過ぎて血尿が出たり、失神をした時もあります。同期生は18人いたのですが、卒業時は4人。私以外の3人は、高校の時にインターハイで優勝をした猛者です。
警視庁の首席師範の森島健男先生にご指導をしていただいていたのですが、『道場に来たら今日1日で自分は死ぬんだ、と覚悟を決めろ』と教わりました。今日で人生は終わるのだといった思いや緊張感を持ち、今、この時この瞬間を必死に懸命に生きる姿勢を意味するのだそうです。『一日一死』の生き方で、その後の人生に大きな影響を与えた言葉です。
過酷な中、4年間やり遂げたことで心身ともに強くなりました。あれほどに厳しい練習によく耐えたな、と今でも思います。杉並区のJR中央線高円寺駅から徒歩で10分程の早稲田通り付近のところに下宿していたのですが、それもよき思い出です。社会人になってから、様々な苦しみを乗り越えられたのは明治大学体育会剣道部で培ったものが大変に役に立っていたからだと思います」
02 ―――
信じること（信仰心）を持っている人は危機を乗り越える
「『一日一死』は人が生きていくうえでの1つの考え方であり、生き方だと思います。私はその生き方を信じていますし、好きでもあるのです。信じるもの、愛するものを持っている人はそれを信じて、一心不乱に問題や課題に取り組む傾向があります。それである程度は解決できうる場合はあるのではないでしょうか。宗教に限らず、家族でもいい。愛するものを持っている人は強いです。
先日、ある企業の経営者と話す機会があり、宗教や信じることについてお教えいただきました。その方も『信じるもの、愛するものを持っている人は克服する問題に集中して、いい発想がうまれていくのでは…』と話しておりました。
私は現在、明治大学の評議員をしています。母校の発展のために非力ではありますが、力を注がせていただきたいと思っています。私なりの愛校心です。あの頃、剣道で得たものに感謝をしているからでもあります。会合が駿河台キャンパス（千代田区）で一定のペースで開かれるので、先日も伺ったのです。会合を終えた後、応援団が校歌を歌ってくれました。歌詞の最後の『正義の鐘を打ちて鳴らさむ』になった時、感動のあまり、涙が出てきました。
学生の頃から愛校心を持っていましたが、明治大学をますます好きになっているのです。信じるもの、愛するものを持っているのは素晴らしいでしょう。当時の下級武士たちが法律家となり、1881年に明治法律学校としてつくっただけに今の時代から見ると庶民的です。たとえば、首相経験者で言えば三木武夫さん（自民党）や村山富市さん（社会党）も明治大学出身です。ともに当時の政界では反主流だったのかもしれませんが、いい仕事をされたと思います。こういうOBの庶民性も、私が愛する理由です」
03 ―――
松下幸之助の言葉に感動する稲盛和夫
「私が経営の師と仰ぐ松下幸之助さんが講演の際、聴衆の1人から質問を受けたことがあるそうです。『どうすれば、いい会社をつくることができるのでしょうか？』。松下さんは『まずは、自分がいい会社をつくろうと思わなければ、つくれませんわな』とお答えされたようです。策や方法でなく、社員などの人や環境でもない。経営者自身が、いい会社をつくろうと思うことそのものがいかに大切であるかを説いているのでしょう。
たまたま、聴衆の中に京セラの創業者である稲盛和夫さんがいて、震えるような感動を覚えたのだそうです。その感性がすごいですよね。稲盛さんもきっと『いい会社をつくるんだ』といった思いだったのではないでしょうか。京セラのその後の躍進を見れば、その思いがいかに大事であるかがわかります。
私も多くのお客様に満足していただきたい、経営危機をなんとか乗り越えたい、社員や団員の雇用や生活を守りたい、祖父の時から続く木下サーカスを私の代で途絶えさせてはいけないと思ってきました」
04 ―――
世界１のサーカス集団になる
木下社長は世界のレベルを知るためにも毎年1月中旬に地中海のモナコへ行く。世界の主なサーカス興行会社や演出家、アーティストが参加し、競う国際コンクールに参加するためだ。そこで各社の経営者、演出家、アーティストらと話す。
それぞれのショーも念入りに観る。演出や演目、舞台や照明、音響効果やアーティストの衣装や化粧、パフォーマンスなどが、木下サーカスのショーでも採り入れることができるか否かを考える。常に改良や改善を繰り返しているのだという。木下サーカスにふさわしいアーティストがいるならば、エージェントを通して招へいすることもある。このような繰り返しで世界1を目指してきた。
「1974年に明治大学を卒業し、木下サーカスに入社したのですが、その頃に欧州のサーカスを観る旅行をしました。驚きであったのは、サーカスを『文化』として捉える文化が各地にあったことです。いずれのサーカス興行会社が主催するショーもレベルが相当に高いと感じました。
この頃から、モナコをはじめ、欧州やアメリカを中心に世界各地のサーカスを観てきたのです。当時から今に至るまでそれぞれの地域のレベルが高いのですが、特に欧州の質の高さには学ぶものが多いのです。
常に改善、改良を繰り返し、よりよきものを目指していかないと、お客様に満足していただけないと思っています。日本にいる時は、映画や舞台も観るようにしています。演出や舞台、照明、キャスティングなどのヒントを得るものがあります」
05 ―――
優れたエンターテインメントであろうとするDNA
木下社長は当時は主に営業に携わっていたが、観客数や観客の反応を見て、海外の一流アーティストを招くことが不可欠であり、公演を成功させる大きなポイントと考えるようになっていく。
さかのぼると、兄の光宣氏が3代目社長をしていた時に、海外のショーの要素を採り入れるのを本格化させた。たとえば、アメリカの猛獣ショーを特別参加させたり、当時、気鋭の映画監督と言われたスティーヴン・スピルバーグ監督の演出方法を採り入れようともした。会場を立体的なエンターテインメント会場にしようとしたのだ。
それが4代目である木下社長の代になり、より鮮明になる。たとえば国際サーカス・フェスティバルでグランプリ銀賞を受賞した猛獣ショーや、欧州サーカス・フェスティバルでグランプリとなったロシアの空中アクロバットを採り入れた。これらをはじめ、海外のショーの要素を次々と採用し、グローバル化を一気に加速させた。
優れたエンターテインメントであろうとする取り組みは、父と兄が会長と社長をしていた頃にすでにはじまっていた。2人は、サーカスを「見世物」といった捉え方から、楽しみや夢、希望を感じられるアミューズメントにしようとしたとも言える。たとえば、1974年には白雪姫と7人のこびと達の物語にサーカスの要素を採り入れた公演をしている。この頃から、人気キャラクターのぬいぐるみやピエロを出演させ、ファミリーを意識した内容にもした。これらの積み重ねが継承され、4代目の木下社長の代に形となって現れたとも言えるのではないだろうか。
◎シリーズ：『あの人この人の「働き方」』
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