シリーズ あの人この人の「働き方」
コロナにも水頭症にも打ち勝ちたい!
2025/4/21
坪井さんは中学生の時にボクシングジムに入門し、練習生になる。高校卒業後、1993年、千里馬神戸ジムからプロデビュー。
2000年4月の試合を最後に引退した。ライトフライ級など4階級での戦績は、3勝2KО13敗1分け。引退後、しばらくは訪問販売などの仕事をしていたが、かねてから好物だったラーメン店の店主になるために、地元でよく知られる有名店での修業を積む。
2007年から「気合いのラーメン つぼ」の経営を始めた。
2015年からは、「ラーメン☆TSUBO」のリングネームで立ち技系プロ格闘技の大会に出場する。
2022年に引退。
2023年に医師から水頭症と診断され、現在、闘病中であるが、気合で営業中。
◆「気合いのラーメン つぼ」
・交通手段:兵庫駅から徒歩8分、新開地駅から徒歩10分、大開駅から徒歩13分。
・営業時間:[昼] 11:00~14:00 [夜] 17:00~翌3:00
・休み:月曜日は夜の営業は休み。火曜日は定休日
・人気 / オススメ:ねぎたっぷりの塩バターラーメン990円、醤油ラーメン並盛850円、塩ラーメン並盛850円、みそラーメン並盛850円など。
・その他:ライス240円、チャーシュー丼520円、キムチ丼450円
・昼のライスセット:ラーメン・ライス・キムチ900円
チャーシュー丼セットはラーメン、チャーシュー丼、キムチ1030円。
01 ―――
はい、そう思います。おいしくないと、リピーターにはならんでしょう。僕は、味にはこだわっています。麺やスープ、チャーシューにも自信があります。毎日、自分が「お客さん」になり、実際に食べるという気持ちで調理をしているのです。いつも自分がつくったものは、お客さんが来るまでに食べています。お客さんのつもりで食べるのです。納得できる味にしたい。肉、骨、麺やもやしはそれぞれのお店に毎日、注文をしていますが、2007年の開店時から18年間、同じ店にしています。感謝や義理がありますから。
お米にも力を入れています。炊飯器で炊く時に、ONのスイッチを入れる直前に氷を1個入れると、おいしくなります。ランチの時は母が炊くことがあるのですが、頑固だから氷を1個入れてくれない。それでも、おいしく仕上がっていますが。最近は値段が上がっているから、めちゃめちゃ大変。止むを得ず、ライスは170円から240円にしましたが、この地域のほかのラーメン店よりは安いはず。その分は、人件費で調整します。僕が、6人分働いています。
深夜3時までは店を閉めません。週末は、その時間帯もお客さんがいるから4時までくらいは開けている日があります。その後、後かたづけをして、店の上の階の自室に戻るのが5時半頃。6時には寝ていますね。11時にはランチをはじめるから、10時半に起きます。それよりも前に母が店内で準備をしてくれているのです。ランチが終わる午後2時半以降は、掃除や料理の仕込み、夕方以降の準備をしています。それが終わると、シャワーを自室で浴びます。
開店の2007年からほぼ毎日、数時間しか寝ていません。2023年に水頭症になったのは、長年の睡眠不足も影響しているのかなとは思います。水頭症の手術を何度しても、店を経営できるのはありがたい。
ボクシングを引退した後、しばらくは何をして生きていけばいいんだろうと迷っていました。今は自分が生きていく意味は、ラーメンをつくることだと思っています。ボクシングや格闘技では結果が出せなかったけど、ラーメンではある程度、出すことができたのかもしれないと思っています。病になっても生かされているのはラーメンをつくり、1人でも多くの人に満足してもらうためです。
02 ―――
僕のやり方が、ここでは絶対に正しい。正しいと思わないと経営ができないし、従業員を育てることもできませんよ。2007年当初は、1人でスタートしてお客さんからもいろいろと言われ、学んできました。失敗を繰り返して自分なりに改良や工夫し続けてラーメン、チャーシューやギョーザ、ライスをつくってきました。自分の思い込みではつくってはいません。お客さんに満足してもらえるように工夫を続けてきたのです。
だから、ここで働くならば僕の考えや指示に従ってもらいたい。多くのお客さんに来てもらって支えられ、18年間、経営ができました。僕が作るラーメンを気に入ってくださるんだと思います。それに応えるためにも、自分が作り続けることが大切。責任もって、店を経営したい。お客さんの期待に応えていきたい。2号店、3号店と拡大していく考えはありません。ここのお店だけで勝負していきます。
03 ―――
2023年に水頭症(※)になって手術をした頃に辞めてしまったけど、10年程、週6日、務めた40代の男がいて、一生懸命に働いてくれました。自分をいつも立ててくれました。その男が店内でいろいろな仕事をしてくれていたから、僕が格闘技をすることができていたのです。
昼の営業が終わる午後2時から夕方の5時ごろまでに、ほとんど毎日、トレーニングで30分程走っていました。両手に1キロのダンベルを持って、馬力をつけるようにします。走った後、週5日(月~金)はジムに通い、スパーリングの練習を1時間半から2時間くらいします。午後6時の開店から深夜3時の閉店まで椅子に座りませんでした。今は、体の具合を悪くしているから難しいですが。
あの頃は体力があったし、僕を支えてくれる男が働いてくれていたから、できたのです。それが辞めてしまったから、残念です。彼は痛風になり、1か月ほど休んでいたのですが、復帰はできないようでした。長い間、がんばってくれていたんですけどね。
僕が料理の仕方に厳しく言う時もあったのですが、ついてきました。補助的なことをいろいろとしていたのです。たとえば、お客さんの注文をとったり、ラーメンやライス、ギョーザ、ビールを運んだり、皿を下げたり、テーブルの上をふいたり、料金の精算をしたりする仕事です。店内や外の掃除も丁寧にします。
厨房に入る時もありました。僕が麺やスープ、チャーシューを必ずつくります。ある時、彼が麺を切ると、そのラーメンを食べたお客さん何人かが「味が違う」と言ったのです。それを繰り返し言う人もいました。それでやる気を失ってしまったようなのです。お客さんは工場や運転手など現場の仕事をしている人が多いから、本人に遠慮なく言ってしまう人もいます。ここは、「昭和の男の店」という雰囲気ですから。
僕は、お客さんに「そういうことは言わんといてください」とは言いません。なぐさめることもしませんでした。本人のためにならんでしょう。お客さんがいない頃をみはからい、声をかけることはしますよ。たとえば、「自分の麺の切り方を映像のようにリアルにイメージして記憶しておくように」「自分の仕事の仕方を動画で撮影し、何が違うのかと考えたほうがいい」とは何度も言っておきました。だけど、それをしてしない。
お客さんから強く言われる機会が増え、なえてしまったから、どうすることでもできなかったのです。本当は、何くそとがんばってほしかった。僕もそれを乗り越えて今にいたっているから。「そばで何を見ていたのか」と聞きたくなりました。残念ですね。
水頭症(※)
何らかの原因によって髄液の循環・吸収障害が起こり、その結果、脳室の異常拡大が生じたもので、小児、成人を問わずに発生し得る病態
(名古屋市立大学医学部付属東部医療センターのホームページから転載)。
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シリーズ:『あの人この人の「働き方」 』
・ザリガニワークス(前編)
・ザリガニワークス(後編)
・木下サーカス(前編)
・木下サーカス(中編)
・木下サーカス(後編)
・木下サーカス(最終編)
・スチールエンジ(前編)
・スチールエンジ(中編)
・スチールエンジ(後編)
・スチールエンジ(最終編)
・小説家 泉 秀樹(前編)
・小説家 泉 秀樹(中編)
・小説家 泉 秀樹(後編)
・小説家 泉 秀樹(最終編)