第18回
2024/09/05
目次
本シリーズでは業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に「DX(デジタルトランスフォーメーション)への挑戦」にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。
4回(第17回
株式会社ホテル松本楼(まつもとろう)は松本楼やぴのんなどの旅館業をはじめ、セントラルキッチン・伊香保ベーカリー本店や湯の花パン石段店の企画・運営など経営多角化を進める。ホテル松本楼は、1964年の創業。60年にわたり、多くの観光客に愛されてきた。伊香保温泉に湧く「黄金の湯」「しろがねの湯」を楽しむことができる大浴場、露天風呂がある。2024年6月現在、正社員とパート社員を含めて112人。2023年の売上は、8億7千万円。2030年のビジョンとして「グループ10店舗」を掲げている。
松本光男社長は、3代目。創業者の孫に当たる松本由起さんとの結婚を機に、後継者となるべく2008年に入社した。今回の取材は、2人が同時期に同じ場所で回答する形で進められた。
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以下は、女将の松本由起さんがインタビュー取材に応じた回答。
「(前回の記事で話した通り)妻の父と母は創業者が3か月で急死したために、25歳と26歳で結婚し、夫婦となり、ホテル松本楼の2代目となったのですが、ずいぶんと苦労をしたようです。たとえば、宴会場で50人程のお客様がいる時に幹事さんにこう言われたのです。「50人にお酒をつぎ、50人からの返杯をすべて飲むことができたら、来年も50人でここに泊まってやる」
この頃は、経営状態が現在のようにある程度安定していたわけではありません。母はお客様を増やしたく、50人がついだお酒をすべて飲んだのです。日本酒のとっくりが50本にもなる程だったと聞きます。お酒に特別に強いわけではないので、苦しかったでしょうね。
父と母はこういう経験をたくさんしながらもお客様から愛され、信頼を得て業績を少しずつ拡大してきました。お陰様で16部屋からスタートし、51部屋にまで増やすことができたのです。こういう規模の旅館ではこれはとても難しいことで、2人は懸命にがんばってきたのだろうと思います」
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以下は、松本光男社長がインタビュー取材に応じた回答。
「私が入社した2008年頃、妻は若女将として改革をしようとするのですが、様々な事情で思い描いたようには進んでいないようでした。たとえば会社などの団体客に加え、女性をはじめとした個人のお客様も増やしていきたいと考えていたのですが、それに反対するベテランの社員がいたのです。
私は、妻からそのようなことをあらかじめ聞いたうえで入社しました。まず、はじめの3年間はベテランの社員たちから考えや仕事の仕方を聞き、受け入れるようにしました。そうしないと、改革はできないと思ったのです。
その頃の社員の平均年齢は、58歳。接客に携わる社員の中には、60~70代の方もいました。創業者である祖父と祖母、2代目の父と母は社員を大切にしていましたから、退職者が少なく、長期雇用の社員が多かったのです。これは素晴らしいことなのですが、ベテランにあまりにも頼ってしまうのはよくないのではないかな、と私は考えていました」
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「ホテル松本楼が中途採用を長年してきたのは正しかったと思いますが、この時期に新卒採用(主に高卒)をはじめました。就職氷河期と言われていた頃でもあり、ありがたいことに多くの学生がエントリーをしてくれました。8人を採用したのです。ベテラン、中堅に加え、若い層が入り、1人3役の態勢をつくることができると思いました。
1人3役の態勢をつくることを全社員に伝えたところ、早いうちにベテランを中心に10人程が辞めました。新しい態勢に疑問や不満を感じたようでした。たとえば、「売店を担当すると入社したのに、接客もしてもらうなんて言われてもできません」といったように。それまでの長年の経験がありますから、新しい分野の仕事はできないと思ったのでしょうかね」
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「退職した社員が近くの旅館で働くようになり、ホテル松本楼のことをいろいろと話していると聞きました。たとえば、「今の職場のほうが松本楼よりは時給が高いし、仕事は楽だよ」などです。社員間のネットワークがあるのでしょうね。毎週、辞める人が現れました。正社員とパート社員を合わせ、85人程いたのですが、約30人が退職したのです。この中には、新卒で入社した8人も含まれます。聞くところによると、辞めた人が8人に「こんな会社に未来はないよ」などと言っていたようです。
私たちは期待をしていただけにがっくりときて、ずいぶんと滅入りました。残った55人で、これまでの85人分の仕事をするのは相当に難しい。どうしたらいいのか、と考え抜きました。父と母は、私たち夫婦がいないところでベテランや幹部の社員に、「2人に協力をしてあげてほしい」と言ってくれていたみたいです。このような支援もあり、ありがたいことに幹部社員は全員が残ってくれたのです」
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「30人程が辞めた後、しばらくは派遣社員を雇うなどして危機をなんとか乗り切ったのです。1人3役の態勢は、しだいに浸透していきました。私たち夫婦は早朝から深夜まで、ひたすら働きました。父や母とは違った意味で苦労をしました。この頃に人が大切だとつくづく感じ、人本経営(じんぽん)について真剣に考えるようになったのです。社員やその家族、お客様、販売先や取引先の会社、株主や地域社会に住む人たちを大切にする経営です。
父と母が経営をしていた時代に幹部であった皆さんは、苦しい時期を私たちと一緒に乗り越えてくれました。ホテル松本楼は60歳を定年としていますから、その年になると正社員からパート社員に切り替えとなりますが、今も全員がパート社員として残り、働いてくれています。いつも感謝しています」