第15回

中小企業 2代目、3代目
経営者のデジタル改革奮闘記

環境事業を手掛けるグループの2代目が挑むDX

~ATホールディングス(前編)~


2024/07/31

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本シリーズでは業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に「DX(デジタルトランスフォーメーション)への挑戦にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。 


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今回(第15回)と次回(第16回)では、産業廃棄物を軸とした環境事業を手掛ける株式会社ATホールディングス another-window-icon(前橋市)の代表取締役社長である堀切勇真氏を取材した内容を紹介したい。 

 

ATホールディングス(AT=Advanced Technology 先進的な技術や理念をもって…)は群馬県に本社を置き、神奈川県、茨城県、山形県にグループ企業を保有し、東日本を中心に産業廃棄物の収集運搬、中間処理最終処分までのサービスをグループ5社で一気通貫にて提供する。2024年月現在でグループの売上は112億円、従業員数は331人。 

01 ―――

 創業者である父からのDNA

 

「2013年に、収集運搬業に特化した株式会社アドバンティク・レヒュースの社長に父(創業者)の後を継ぐ形で就任し、同時期に今後のM&Aニーズの受け皿として持株会社であるATホールディングスを立上げ、名実ともに社員とそのご家族のための会社となるよう社員持株会も発足させました。

その後、現在(2024年)に至るまでに有限会社大生地産、三協興産株式会社、株式会社キヨスミ産研、株式会社日昇つくばをグループ化しました。2024年3月末現在のグループ全体の売上は112億円で、アドバンティク・レヒュースが38億円、三協興産が36億、キヨスミ産研が20億、日昇つくばが14億円、それとATホールディングスです。これらの会社で構成されるグループの力で産業廃棄物を軸とした環境事業を手掛けています。

グロープの中核であるアドバンティク・レヒュースの創業は、1984年です。これよりも5年程前に、当時30代半ばであった父は勤務していた大手自動車メーカーから前橋市にあるグループ会社の産業廃棄物処理の会社に転籍をしたのです。手腕を買われ、経営の立て直しをするために送り込まれたようです。そこで働く社員たちに慕われ、頼られ、かつがれるような形で独立し、アドバンティク・レヒュースを設立したのです。

その後約30年間、社長を務めました。社長をすることに当初はためらいがあったようですが、親会社である大手自動車メーカーとの賃金の差などを知り、懸命に働く社員たちの生活をなんとか豊かにしたいと思ったと話していました。そのDNAは、2代目である私にも受け継がれているように思います」

02 ―――

銀行を退職し、父の経営する会社に入社

 

「私のキャリアは早稲田大学を卒業し、新卒として三井住友銀行に入行した時から始まります。主に法人営業に5年程従事していましたが、いずれは経営者になりたいと願っていたこともあり、仕事に大変な魅力ややりがいを感じていました。

 その頃、父が病になったのです。父とともに創業時から一緒であった役員から「父の理念を受け継ぐことができるのはあなたしかいない」と声をかけていただいたのです。私としてはありがたいお話と受け止め、意気に感じ、後を継ぐことを決意しました。銀行の仕事に魅力を感じていただけに、後ろ髪をひかれる思いはありましたが、初心をあらためて思い起こしました。

いずれは経営者になり、理想とする会社をつくりたかったのです。その1つの姿が、働く人ががんばったらそれに見合う対価を得ることができる。職場では、いつまでも輝く存在であり続ける。先ほど述べたように、かつて父がアドバンティク・レヒュースを仲間と一緒に創業した時の思いです。このDNAを大切にしたかったのです。

資本主義のあり方を私なりにわずかでも変えてみたいとも考えています。たとえば、会社が潤えばオーナーや資本家、社長から贅沢をするのではなく、まずは社員1人ひとりが豊かになるようにしたい。そこに経営者の価値があるのだと思っています。父は、創業時からそれを実践してきました。そのような会社を私も本気でつくりたいのです」

 

03 ―――

父の強力なリーダーシップのもと、会社が動く

 

「初心に返り、父の経営者としての歩みや会社や私、社員に流れているDNAを思い起こすと、迷いはなくなりました。銀行を退職し、2010年にアドバンティク・レヒュースに入社したのです。当時28歳でした。その時の正社員数は約40人で、売上は9億5千万円。それよりも数年前には14億円をこえた時期もあります。

自分の希望でもあり、父の考えでもあったのですが、入社後のはじめの1年間は現場作業をみっちりとさせていただきました。給与は、銀行の退職時の半分ほどにしてもらいました。その後、営業に異動し、銀行での法人営業での経験を生かし、実績を積みました。

 社内は創業者である父の強力なリーダーシップのもと、創業メンバーである役員をはじめ、社員たちが動いているようでした。それも当時のアドバンティク・レヒュースの1つの仕組みといえるのかもしれませんが、よりよき姿にするためにいろいろと改善や改革はできうるのではないかなと思いました。たとえば、数人で構成されていた営業部があったのです。皆が懸命に仕事をしているのですが、お客様である企業の問題を見つけ、解決案を提示するようなソリューションやコンサルティングのレベルにはなっていないように感じました」



04 ―――

2代目社長就任までの準備

 

「そのほかにも気がつくことがあれば、父に「こうしたほうがいい」などと言う時があったのですが、言い返されていました。「今は、私が代表をしている。お前が代表になった時に試みたらいい。少なくとも3年間は待ちなさい。まずは、目の前の仕事をきちんとして社員たちから信用されるようになりなさい。今のうちに代表になった後にしたいことを書き留めておきなさい」。

こんな親子との約束があったのです。私は大量に書き留め、準備を整え、3年目に社長に就任したのです。父は代表権のない会長になり、経営に介入はしませんでした。私のすることに一言も言わなかったのです。事業継承がスムーズであった理由の1つは、このあたりにあるように思います」

05 ―――

父の死

 
「唯一、こんなことを言われていました。”経営理念にそむくような言動を少しでもしたら、厳しく口をはさむぞ”。たとえば当時の社員数は約40人で、社長である以上、その人たちを守る責任があるのですが、それができないような時。あるいは社員よりも経営者が先に豊かになろうとする時。父のこれらの教えに納得し、今にいたるまで守ってきたつもりです。いわば、親子の約束だったのだろうと思います。

父は昨年(2023年)、心筋梗塞で亡くなりました。75歳でした。人に面倒をみてもらうことは元気な頃から嫌がっていましたので、倒れて誰にも迷惑かけず息を引き取ったのはある意味ではよかったのかもしれません。息子の立場でいえば、ちょうどいい天寿だったように思います。最後まで父らしく、生に執着することはしませんでした。だから、地位やお金や財産などにしがみつかなかったのだろうと思います。

社長を退いた後は会社や私、社員の成長を楽しみにしているようでした。残念であったことをあえて1つ挙げるとすると、新社屋のオープン(2023年10月)を見せたかったのですが、それが間に合わなかったことです。それでも、総じて幸福な人生だったのではないでしょうか」

06 ―――

「父の私への引き継ぎ方は、すばらしかった」

 

「私への引き継ぎ方は見事で、すばらしかったように思います。あの時、こう言ったのです。「自分は、ここまでしかできなかった。だから、退く。あとは、お前がしっかりと取り組んでほしい」。引き継ぐ側よりも低い立場であると示し、私がやりやすいようにしたのだろうと思います。

創業経営者の中には、「自分はここまでやったぞ。次のお前はどれくらいできる?」と言っているかに思える形で後継者にバトンタッチするケースがあると聞きます。これは、後継者にはプレッシャーになる場合があるのかもしれませんね。たとえば、2代目の社長が創業者である父から言われたら、大きな実績をつくろうとして無理をすることがあるのではないでしょうか。


このような場合も父と子は互いに認め合っているのでしょうが、親子であるがゆえに息子の前で低い立場になることができない時があるのかもしれません。これが、親子や家族の難しさともいえるのではないでしょうか。認め合っているのに、結果として正反対の状況になってしまいかねない。私の父はそれを心得て、あえて低い立場であることを強調したのではないかと思えるのです。こういう配慮があり、私は2代目に就任し、比較的スムーズに進むことができたのだと考えています」

 

07 ―――

父からの経営理念は必ず守り、変えるべきところは変える

 
「社長就任の際、全社員にこう言いました。「父が大切にしてきた理念、つまり、会社は社員や家族のためにある。その理念は、必ず守ります。そのような豊かで、幸せな社員をつくるのが私の夢。ただし、現状を維持するだけでは、そのようにはなりえません。改革をするべき時があるかもしれません。その過程で苦しい時があるかもしれませんが、その試みは社員である皆さんのためになるものです。どうか、覚悟をして安心してついてきてください」。

社長になった後、比較的スムーズに進んできたもう1つの理由は入社後3年間は社員の皆さんと同じ立場で仕事をさせていただいたことで、ある程度の信用を得ていたからではないかなと思います。皆さんが自分を見るうえでのフィルターは、この時期に多少は取り除くことができたのかなとは考えています。

たとえば営業でいえば、先ほど説明しましたように相手の企業が抱える問題や課題を解決できうるコンサルティングやソリューションを営業部としてするようにして、成果や実績を向上させることができました」

08 ―――

個々の社員に寄り添えるような姿勢を持ち続けたい

 「社長就任以降、ITデジタル化に本格的に取り組んできたことも功を奏したとも思います。社長就任当初は社員数が約40人、その後、業績拡大にともない、社員が増え、約100人を数えるようになりました。この規模になると、毎日、全員と直接会い、コミュニケーションをするのは難しいでしょうね。そこでITデジタル機器を状況に応じて活用しています。たとえば、全社員の誕生日をスマホに記録し、LINEを通じて「おめでとうございます」とメッセージを贈るようにしています。

父は圧倒的なカリスマ性を持ち、社員をぐいぐいと力強く引っ張るようなリーダーシップでした。私が銀行員の頃から拝見してきた範囲でいえば、ほかの創業経営者のようなリーダーシップとも異なるようでした。身内のことで恐縮ですが、器量の深さがありました。自分に厳しいことを言ってくるような社員の心もつかんでいくのです。

 私はその器量の深さは大切にしながら、個々の社員に寄り添えるような姿勢を持ち続けたいのです。そして、それぞれがいかに力を発揮できるようにするか。皆の知恵をいかに生かしていくか。私としては、父のワンマン経営から衆智経営に舵をきったのです」
 
第16回 後編へ続く



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著者: JOB Scope編集部
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