第20回
中小企業 2代目、3代目経営者の デジタル改革奮闘記
創業60年の旅館業の3代目が挑むDX
(完結編)
2024/09/12
目次
本シリーズでは業界・業種を問わず、中小企業の2代目もしくは3代目の経営者の経営改革をテーマにする。特に「DX(デジタルトランスフォーメーション)への挑戦」にフォーカスを当てる。ITデジタルの施策に熱心に取り組み、仕事のあり方や進め方、社員の意識、さらには製品、商品、サービス、そして会社までを変えようとしている企業をセレクトする。
第17回、第18回、第19回、第20回では、伊香保温泉街にあるホテル松本楼(群馬県渋川市)の代表取締役社長である松本光男さんと女将の松本由起さんに取材を試みた内容を3回連続で紹介してきた。今回(第20回)は、4回目として最終回となる。
株式会社ホテル松本楼(まつもとろう)は松本楼や洋風旅館ぴのんなどの旅館業をはじめ、セントラルキッチン・伊香保ベーカリー本店や湯の花パン石段店の企画・運営など経営多角化を進める。ホテル松本楼は、1964年の創業。60年にわたり、多くの観光客に愛されてきた。伊香保温泉に湧く「黄金の湯」「しろがねの湯」を楽しむことができる大浴場、露天風呂がある。2024年6月現在、正社員とパート社員を含めて112人。2023年の売上は、8億7千万円。2030年のビジョンとして「グループ10店舗」を掲げている。
松本光男社長は、3代目。創業者の孫に当たる松本由起さんとの結婚を機に、後継者となるべく2008年に入社した。今回の取材は、2人が同時期に同じ場所で回答する形で進められた。
01 ―――
2代目から否定をされたことがない
以下は、女将の松本由起さんがインタビュー取材に応じた回答。
「(前回の記事で話した通り)社員がこれをやりたい、と言った時にはそれができるように可能な限りの支援をしたいと思っています。もちろん、すべてのことが実現できるわけではないのですが、そのほうが社員も納得感があり、生き生きとしてくるのではないでしょうか。私たち夫婦がこういうことをしたい、と2代目である父や母に言った時に否定されたことがほとんどないのです。その姿勢は、私たちも大切にしたいのです。
ある方から「社員が成長し、その人にどんどんと仕事を任せると、会社が自分たちの目が届かないところに行ってしまうような気がしないですか」と尋ねられたことがあります。私たちには、そのような思いはありません。個々の社員をきちんと管理はしていますが、それぞれが積極的にどんどんと仕事を進めることを頼もしく、喜んで見ています。今や、社員たちのほうが私たちよりも仕事のレベルが高いのです。ITデジタルについては10~20代の社員に教えてもらうくらいになっています」
02 ―――
10億円を超え、仕組みが出来上がりつつある
以下は、松本光男社長がインタビュー取材に応じた回答。
「売上が10億円を超え、正社員とパート社員をあわせると110人規模になると、私たち夫婦が全員の仕事を隅々まで把握し、そのすべてに1つずつの指示はできません。ですので、管理職が部下である社員たちの仕事の状況を常に把握しています。そのような仕組みがある程度出来上がっていますので、会社全体として問題なく動くことができているのです。今や社内の実務は私たち夫婦だけではできなくなっていますし、また、そのようにする必要もないのです。
ラインでも社員とつながっていますが、「こういうことをしたいのですが、いいですか」と時々メッセージがきます。私は、それをできるだけ否定をしないようにしています。最近は、こういう社員が増え、職場の雰囲気は確実に変わってきました」
03 ―――
ITデジタル化の本当の目的
以下は、女将の松本由起さんがインタビュー取材に応じた回答。
「特にここ10年程は、ITデジタル化を推し進めてきました。たとえば、ホテル内の掃除はロボットがしています。細かいごみやほこりは、ロボットのほうがきちんと取るのです。掃除の質を上げることにもなるし、社員の負担を減らすためにもなります。
2020年からコロナウィルスが感染拡大している時、人と直接触れる機会を少なくすることが社会で求められました。ホテル松本楼もその影響を受けましたから、私は友人が経営するラブホテル(埼玉県川越市)に見学に行きました。それ以前からITデジタル化が進んでいて、感心しました。生産性が高いのです。わずかのスタッフでホテルが機能するのです。それほどにITデジタル化が進んでいるのです。社員も見学に連れて行き、ここから学ぶべきとも言いました。
それで、お客様の部屋にタブレット端末を設置しました。ドリンクを注文できたり、貸切風呂の予約状況や食事会場の混雑具合、周辺の観光情報などの確認ができるようにもなっています。これはお客様へのサービスでもあり、フロントや接客を担当する社員の負担を減らすことでもあるのです」
04 ―――
自動精算機を導入した大きな理由
以下は、松本光男社長がインタビュー取材に応じた回答。
「フロントには、自動精算機を設置しました。お客様が、チェックアウトする際には精算機を使うようにしたのです。それ以前のフロント業務を自動化したのです。設置した初期の頃、使い勝手に慣れない方がいましたが、現在はそのようなことはほとんどありません。若い社員は、私よりも早いうちに慣れました。若い人が多いと、ITデジタル化のスピードは早くなります。
自動精算機を導入した大きな理由は、社員に負担を与えたくないからです。たとえば、フロント担当の社員は1日の仕事を終えると、お金の計算をします。そこで数字が違うと、計算をし直したりせざるを得なくなります。それは社員にとって時間的にも、物理的にも負担になることがありえます。精神的なストレスにもなりうるかもしれません。それを私たちとしては、防ぎたかったのです。社員にいかに気持ちよく働いてもらうかが、ここのITデジタル化の大きな目的です。
ホテルではここ数年、コロナウィルスの影響もあり、自動精算機は増えていますが、旅館として導入した時期は全国でも相当に早かったと思います。掃除にしろ、清算にしろ、機械にできることは機械で対応し、人にしかできないことに社員が力を注ぐようにしています。サービスの質をより高めるためでもあります」
05 ―――
セントラルキッチンとECサイトをスタート
「2021年12月には、セントラルキッチンである『伊香保キッチン』をスタートしました。これも調理をする職人さん(社員)の負担を減らすためです。導入するにあたり、反対はありませんでした。むしろ、総調理長をはじめ、全員が賛成をしてくれました。ITデジタル化を進める理由は、社員のためであること。それをふだんから全社員に伝えていますので、理解をしてくれるのではないかな、と思います。
ECサイトで、ハヤシライスのソースなどのオリジナル商品を販売するようにもしました。ちょうどコロナウィルスが感染拡大した頃でした。現在(2024年)は売店でもオリジナル商品を販売していますが、売れ行きは好調です。売店では特によく売れる傾向があるのは、ホテル松本楼でしか買えないものです。ですので、オリジナル商品がお客様に喜ばれるのではないかな、と思っています」
06 ―――
社員からの意見や提案を否定しない
「業績が拡大し、社員が増えると、情報や意識、目標を共有することがより一層に必要になります。そこで管理職たちが週1回のペースで集まり、それぞれの職場の問題点や課題、社員の勤務シフトの確認をしています。それを議事録としてまとめ、全社員が見るラインに流し、共有を図っているのです。高齢者などの一部がラインを見ないかもしれないので、タイムカードなど全員が見るところに議事録を貼り、大切な部分をマーカーで色付けしています。
こういう試みを続けると、社員から様々な相談を受けたり、アドバイスをもらうようになるのです。すると、トラブルや問題を未然に防ぐことができるようになります。フラットな組織であることを意識してきましたら、社員が私たちに問題などを伝えたいと感じているのかもしれませんね。フラットな組織であるためには、私たちは社員からの意見や提案を否定しないようにすることが大切だと思います。聞く耳をもたずに、なぜ、そんな意見を言っているの?といった態度ではほとんどの人は意見や提案をしないでしょう。
すべての意見や提案を受け入れることができない場合もあります。仮に難しい場合は、たとえば「考えさせてもらいますね。提案をしてくれて、ありがとう」と言っています。そしてそのままにしないことも大切です。検討した結果、難しいならば、本人には理由を添えてお答えするようにしています」
07 ―――
フランクな組織をつくるために心がけていること
「フランクな組織をつくるために心がけているのは毎日、私たちのほうからそれぞれの社員に対し、挨拶をきちんとすることです。こちらが、オープンマインドであり続けないと、社員も心を開いてくれないでしょうから。みんなが楽しめる職場であってほしい。正社員は1日8時間程、パート社員はそれぞれ異なりますが、ホテル松本楼で働くのです。これは、奇跡と思います。無数にある会社の中で1つの職場で働くわけですから、私には奇跡に見えるのです。その縁は、大切にしたいのです。
経営者の仕事は社員たちが納得し、満足し、気持ちよく働ける職場をつくることだと思います。私たち夫婦は、社員の皆さんに感謝の思いしかありません。本当にありがとうございます、といった思いで接するようにしています。その姿勢があると、社員はこちらがさらに感謝したくなるようなことをしてくれるのです。こういう循環があるような気がしています」
以下は、松本光男社長がインタビュー取材に応じた回答。
「特に10~20代で入社した場合、1年後には別人のようにしっかり成長している人がほとんどです。その姿を見ると、うれしくなります。経営する立場として最も喜びを感じる瞬間です。かつて家庭の事情があり、若くして働かざるを得ない人がここで働いていました。勤勉に働き、仕事を覚え、貴重な人材に育ちましたが、ソムリエになりたいと言い、卒業(退職)していきました。残念なことではあるのですが、私たちはこういう人を応援しています。楽しみでもあるのです。だから、経営を続けることができたのかもしれませんね」
以下は、女将の松本由起さんがインタビュー取材に応じた回答。
パン工房「伊香保ベーカリー」を、石段街の販売店舗「湯の花パン」、愛犬と泊まれる旅館「Doggyスイート ペロ」を開業しました。このような多角化をするのは、社員たちに職場のリーダーを経験させたいからです。キャリア形成を考えると、いい試みではないかなと考えています。ホテル松本楼やぴのんだけでは、リーダーの数は限られているのです。社員の中で、「私がやりたいです」と言ってきた人を優先するようにしています。2年目の社員もいて、ずいぶんとがんばってくれています。
「伊香保ベーカリー」「湯の花パン」「Doggyスイート ペロ」はいずれも業績がよく、驚くほどです。私たちが、当初想定していた数字を大きく上回っています。ただ、私たちはリーダーの社員に数字を求めることはしていません。各リーダーが率先して、どうしたらお客様に喜んでいただけるのかをよく考えているようです。その結果として、数字になるのではないでしょうか。業績の責任は、すべて私たちにあります。
以下は、松本光男社長がインタビュー取材に応じた回答。
「実は、これらの多角化は10年程前から考えていました。新規事業は通常は、初期の頃は上手くいかない場合は多々あるのでしょうが、いいものをつくれば必ず受け入れていただける、と思っています。意識しているのは、常に改善をすること。お客様や社員から意見や助言をいただければありがたく頂戴し、改良ができるならばするようにしています」
以下は、女将の松本由起さんがインタビュー取材に応じた回答。
「この10数年、売上10億円にこだわってきたわけではありません。先代である父と母の頃は売上を重視していたのですが、私たちは利益を大事にしています。「伊香保ベーカリー」「湯の花パン」「Doggyスイート ペロ」はホテル松本楼の敷地やそばにあるので、忙しい時にはホテル松本楼の社員が応援にいきます。その逆もあります。社員を新たに採用する必要はなく、効率的に双方が動くようになっているのです。利益を重視すると、このようなことも可能になります。社員が納得し、生き生きとして満足できる職場になるのです。ホテル松本楼で働いてよかったと思ってほしい。それが、強い願いです。これからも、私たちは学んでいきたいです」
(完)
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