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実は、事業継承は考えておりませんでした/ 第2回 キューピッドワタナベ(後編)

作成者: JOB Scope編集部|2025/06/16

中小企業 2代目、3代目経営者の デジタル改革奮闘記

実は、事業継承は考えておりませんでした

~ キューピットワタナベ 渡辺道代 会長 渡辺英憲 社長(後編)~


2025/6/16

 

今回は、株式会社キューピットワタナベ代表取締役会長の渡辺道代さんと代表取締役社長の渡辺英憲さんを取材した。会長が創業者で、社長が2代目となる。

 

同社(東京都昭島市)は1987年の創業時から企業や団体から委託を受け、ダイレクトメールの封入・発送を手がける。当初から身体、知的、精神などの障害者や少年院、刑務所を出所した人を従業員として雇い入れてきた。会長は「障害者などと健常者が一緒に働ける場を作り、両者を結び付けるキューピット役を果たしたい」という思いで、社名をキューピットとした。現在、従業員は数名の障害者を含めたおよそ20人。

 

http://www.cupid-watanabe.co.jp/

 

 

 

 

 

01 ―――

経営理念を大切にしてきたからこそ、40年も経営ができた

 

以下は、社長の渡辺英憲さん。

 

1987年の創業から障害者と健常者が同じ職場で一緒に仕事をするのが、1つの方針です。これは、弊社の経営理念でもあります。健常者を雇う時の面接や労働契約を交わす時に、会長や私からお伝えしていることでもあるのです。皆さんが経営理念を理解したうえで入社し、働いてくださっていると私たちは理解しています。健常者と障害者が、同じ職場で仕事をすることで大きな問題やトラブルになったことはありません。

 

経営理念があり、それを私たちや従業員が大切にしてきたからこそ、現在まで約40年も経営ができたのだと思います。私は2019年から2代目として後を継ぐ立場ですが、理念を大事にしながら、時代や環境に合わせてお客様にさらに満足していただけるようなサービスをして経営を続けていくことを重視していきたいと考えています。

 

前回の記事で説明したように)同業社は、バブル経済と言われた1980年代後半から90年代前半までの間に機械化を進めた会社が多いのです。当時は、金融機関が企業に積極的に融資していたために、小さな会社もダイレクトメールを封入する機械の購入資金を借りやすい時代でもあったのだろうと思います。1990年代後半から不況が深刻化すると、そのような会社の中には機械を購入したコストが重くのしかかり、経営難となり、廃業したり、倒産したケースがあるのです。

 

バブル経済の頃、会長(当時は社長)は障害者の雇用を守ろうとして機械化をすることなく、手作業の方針を守りました。作業のスピードは、機械に比べると遅くなります。従業員は基本的には午後5時の定時に帰りますから、その後は会長1人で作業場に残り、作業をしていたのです。「手を動かしていれば、(すべての作業を終えるので)必ず終わりが来る」と自らに言い聞かせていたようです。

 

私が、10~20代の頃でした。自宅で父、母と3人で暮らしていましたが、会長(母)が午後9時前に帰宅する日は相当に少なかったと記憶しています。納期が迫る時には、徹夜になる日もありました。それでも、帰宅後に愚痴や不満を漏らすことは1度もなかったのです。「ほかの人と同じような生活や仕事をしていたら、いいことは起きない」と話していました。

 

私は前職が福祉施設だったのですが、定時まで働いた後、会長の作業を手伝うために作業場へ行き、深夜まで一緒に仕事をしたことがあります。会社務めの父も帰宅後、夜遅くまで働く会長の代わりに家事をしていました。あの頃、家族全員で母の思いをきっと支えていたのだろうと思います。

 

バブル時代は、金融機関や不動産会社から様々な話があったようです。会長は、ほとんどを断っていました。障害者のための会社をつくりたい思いが強かったから、そのような話に関心を持たなかったのでしょうね。だからこそ、経営が続いたのだろうと思います。会長は、「障害者に救われた」とよく言っていました。

 

バブル経済の時期に限らず、その後の好景気の時も業績は大きくは伸びませんでした。不況になっても、大きく落ち込むこともありません。ある意味では、安定飛行していたと言えるのかもしれません。小さな会社でも40年続いた理由の1つは、こんなところにもあると思います。現在(2025年)も基本的には手作業が中心ですが、ある部分の作業には機械を導入しています。時代や環境に合わせたサービスをしていくためです。障害者のための会社ではあり続けたい、と考えています。

 

 

 

02 ―――

実は、事業継承は考えておりませんでした

 

以下は、会長の渡辺道代さん。

 

中小企業の経営者の親睦会や会合がありますが、社長になって日が浅い頃は勉強を兼ねて参加していました。会場に伺うと、経営者である男性たちから「事務員さんが来る場ではないよ」とよくたしなめられました。「一応、私が社長です」と答えると驚くのです。女性の経営者が少ない時代でしたから無理からぬことでしょうが、悔しい思いはしていました。

 

1987年の創業から10年程は、作業場は現在の場所とは違うところにあったのです。ある時、地域で有名な中小企業の社長が作業場に見学に来たのですが、知的障害の従業員をけなしたのです。とても不愉快になり、「外へ出て!」と言い、従業員のいないところで厳しく言うと激しく言い返してきて、ついには口論になりました。

 

私は、その地域にいるのが嫌になってきたのです。親しくしていた銀行員の助言や支援もあり、20年程前に現在のところへ作業場を移しました。「こんな小さな会社が立派な建物をつくった」といろいろな噂を立てられました。銀行員はその後、退職し、都内で不動産会社を経営しています。今も様々な助言をいただいているので、大変にありがたく思っています。

 

実は、事業継承は考えておりませんでした。障害者が働ける会社にしたい。その一心で続けてきましたが、規模を大きくしたいとか、多額のお金を得たいといった野心はなかったのです。自分が引退する時は、会社もたたむ方がいいと思っていました。事業継承は、息子から話があったのです。

 

 

 

03 ―――

この会社の強みは、約40年間で得た信用

 

以下は、社長の渡辺英憲さん。

 

いろいろなことが重なったのです。たとえば、会長の手作業を手伝うために時折、作業場に来ていましたが、しだいに会社に関心を持つようになったのです。当時、福祉施設に勤務していました。そこでは、障害者の仕事の一部に機械を導入していました。その機械はここでも導入できるように思い、会長に提案したのです。

 

そのようなことがあり、「福祉施設を退職するのでぜひ、雇ってください。機械を使うことができますから、導入する際には自分を使ってほしいのです」とお願いをしました。入社が認められ、事業部の責任者として従業員の作業の管理や機械の導入から、従業員への教育にまで関わるようになりました。私自身も日々、作業をしています。それ以外にも社内外の様々な仕事をすることで経験を積みました。元号が令和になった2019年に母が会長となり、私が社長となったのです。

 

これで事業継承を終えたと2人で思い込んでいたのですが、弊社が所属する商工会議所の中小企業診断士から「そんな簡単な話ではないですよ」と言われました。その診断士の方から、登記や株式などの引継ぎを中心に半年間、実習をしていただき、現在に至っています。

 

この会社の強みは、約40年間で得た信用だと思います。会長が社長として創業した頃から、従業員と一緒に質の高い仕事をこつこつと続けてきたことが大きいのではないかな、と考えています。多くの従業員やその家族の支えがあったからこそです。強みを守りつつ、今後のことも想定しておく必要があります。たとえば現在、物価が上昇していますが、いずれは弊社の経営にも影響を与えるかもしれません。少子化が進むからこそ、従業員の採用や育成はますます大切です。私を支えてくれるような人材も育成しないといけない。課題は、いくつもあります。

 

強みをより強くするためには、作業の精度をさらに高めることだと思います。そのためには、作業をする前の準備と検品が重要です。準備と検品のレベルを一段と上げるために機械を導入しました。機械を動かすことができる人は社内では少ないので、私がほぼ毎日午前4時から5時前後に作業場に入っています。機械で準備し、作業のしやすい資材を従業員に渡し、作業をしてもらっているのです。

 

その後、全員が出社し、午前中から午後にかけて皆と作業をしつつ、その間に事務をしています。体がキツイと感じる日もありますが、従業員に支えられています。事務を従業員にお願いするのは考えたことはありません。作業に専念してほしいためです。作業の精度が高いことが、私たちの会社の強みですから。この強みを活かせるように実は現在、新規事業をはじめようとしているのです。

 

 

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著者: JOB Scope編集部
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