中小企業 2代目、3代目経営者の デジタル改革奮闘記
2025/7/28
今回は、主に空き家物件に関する相談などを手がけるたんぽぽ不動産(愛媛県喜多郡内子町)の代表取締役社長の松岡秀夫氏(62歳)を取材した。
松岡氏は、1962年生まれ。中学生の頃、父が結核のため、長期療養となり、一時期、生活保護を受ける。1977年、愛媛県の新田高校を約2週間で退学し、今治市(愛媛県)などで大工や石工の職人を11年続ける。1990年、総合建設会社ジョー・コーポレーション(愛媛県松山市)に就職し、主に分譲マンションの販売に携わる。部下の育成やチームづくり、業績を評価され、2002年、39歳で分譲マンションの販売責任者、担当役員になる。
同社の売上は最盛期の2006年で350億円前後、社員数は700人程。2009年のリーマンショックにともなう景気悪化に伴い、業績が急激に悪化し、同年に民事再生法の適用を申請する。人員削減や事業再構築をして再建を試みるが、2015年に事業停止となった。負債総額は、70億円程。
松岡氏は、2009年に46歳で退職。松山市を拠点に建設コンサルタント、建設、電気設備工事、不動産、飲食、リース、人材派遣などの事業や会社を経営する西川グループ(パートなどを含めた従業員数200人程)の創業者から資本の提供を受け、NYホーム(松山市)を2009年に創業し、代表取締役社長に就任。西川グループの創業者がオーナーをしているがゆえに、松岡氏自ら「雇われ社長」と名乗る。13年間在任中、売上は最盛期で2億円程、社員は約20人、5店舗。2020年にグループ会社の南洋建設の社長も兼務する。2022年に59歳で後継者(専務)に事業継承し、同年にたんぽぽ不動産を創業し、現在に至る。
01 ―――
― 中小企業の中には10億円の壁にぶつかり、苦しむケースが多いと聞きますが、どう思われますか?
10億円の壁に限らず、中小企業が業績を拡大する時にいくつもの壁があります。私が知る一例を挙げます。相当にエネルギッシュに推し進める創業者が、社員たちをぐいぐいと引っ張っていました。社員たちも感化され、創業者とともに組織を引っ張っていく。これは、創業期では成功するパターンの1つです。
組織の規模が大きくなり、社員が増えると、創業者が見えなくなる場合が多々あります。この頃から、勢いがしだいになくなっていく。これまでの成長スピードにブレーキがかかり、長きにわたり、低迷するのはよくあるケースです。10億円の前で行き詰まるのも、おそらくこのようなケースかと思います。
私が勤務した前職(西川グループ)は、県内では名が知れたコングロマリットでした。グループ全体の業績は2025年現在も拡大中ですが、2020年前後は創業者が後継者に権限移譲しようとしていた時期でした。私は創業者から指示を受け、改革を試みました。それは、次に挙げる4つの柱で成り立ちます。
これらを具体化した内容を学ぶ研修をしようとしていた2020年にコロナウィルスの感染が拡大し、集合研修の開催が難しくなったのです。オンラインですることもできたのでしょうが、私がほかの大きな仕事を創業者から任され、研修の講師を続けるのが困難になりました。
1から4までが創業者が一線を退いた後を想定し、掲げたものです。カリスマ性のある創業者1人に頼るのではなく、社員の質を底上げし、組織として稼ぐようになるのが私なりの狙いでした。それが十分とは言いがたい時期(2022年)に退職したのが、心残りではあります。ただ、事業継承を成功させるためには1~4は考えるべき点であると今も思っています。
ほとんどの中小企業では特に創業者が優秀であるから成り立っているのは事実ですが、どのような方でも200歳までは生きられないから、事業継承を成功させるのは大切なのです。1から4までをベースに会社や事業、経営計画や戦略について創業者や後継者らが役員、管理職をはじめ、全社員とどれほどに話し合う時間を持つことができるか。ここが、成否の分岐点かと思います。
たんぽぽ不動産 松岡秀夫 代表取締役社長
02 ―――
― 優秀な創業者やリーダーがいなくなった時に備え、態勢をつくろうとするのはきわめて大切でしょうね。
そんな思いを強くした経験を述べます。前々職の会社は、総合建設会社として1990年代の初頭から2005年前後まで急拡大しています。社長は3代目で、中興の祖と言える優秀な方でした。3代目に就任した頃の売上が10億円前後で、ピークで350億円前後にまで発展させるのですから、滅多にいない経営者です。私は19番目の社員として入社したのですが、約15年間で700人程になりました。社員教育を担当していたこともあり、社長の名が全国で知られるようになるのを願っていました。努力して帝王学を身につけたタイプで、尊敬できうる方です。
しかし、優秀すぎるリーダーにはある意味で危険が伴うのを痛感します。役員や管理職、一般職のほとんどが結果としてイエスマンになっていくのです。私もその1人でした。社長の顔色をうかがい、おもねる形ではなく、「すごい」と心から思い、ついていくのです。
たとえば、社長は会議や日々のやりとりで理路整然と話す。事前によく調べ、考えたうえで言葉を発している感じでした。常に説得力があり、私たちはうなるしかない。いつもすばらしい判断で皆をリードします。そのレールの上を皆で走っていく。やがて、私たちはそれよりも深く考えなくなる。ある意味で思考停止するのでしょうね。ここが、危ないのです。
2009年にリーマンショックがあり、私たちの会社も大きな影響を受けました。一気に業績ダウンしたのですが、今、振り返ると社長の判断に多少なりとも誤りはあったように思います。それを支えた私たち幹部にも大きな問題はあります。あの時、役員や管理職は何も言えなかった。社長が言わせないようにしているのではなく、言えないのです。
ふだんから、社長の判断が間違うはずはないと信じていました。確かに誤りはほとんどなかった。我々はある面で思考停止していたから、壁にぶつかるとどうしていいのか、わからない。皆が社長の指示待ちに近い状態で長年いたので、策が浮かんでこない。さしたる手が打てないままに2009年に民事再生法を適用し、再建を試みるものの、2015年に経営破綻したのです。
1990年、28歳の頃、社内のFC大会で表彰された時。前列の右側が、松岡氏。
03 ―――
― 多くの社員が指示待ちになるのは、危ない気がします。
そう思います。ナンバー3に近い立場であった私の力も足りませんでした。会社や社員たちのことを思えばこそ、社長を論破できるような努力をすべきだったのです。あの方は、意見を言ってくる部下を潰すタイプではありません。むしろ、そんな部下を受け入れる度量や心を持っている方でした。それだけに悔いるものはあります。
私自身、部下を持つ身でした。知識や情報を獲得し、勉強し、意見を言ってくる社員に好感を持っていました。私が、部下である時にそのようにしていましたから。ある意味でかわいくないのかもしれませんが、強い組織をつくるうえで不可欠な人材でしょう。全員が賛成したり、反対したりする組織は弱い。時には、上司に苦言を呈する部下は絶対に必要です。
皆でカンカンガクガクの議論をして、よりよきものを目指す。そのうえで正式に結論を出せば、全員がそれに従い、前に進める。これが、強い組織です。皆が同じベクトルに進んでいくべきですが、それ以前に異論や反論を含め、議論し合い、合意を形成することが大切なのです。ここの社長は、意見を述べる社員の言うことを丁寧に聞いていました。
たんぽぽ不動産(愛媛県喜多郡内子町)
前職(西川グループ)の創業者も、異論や反論、苦言を唱える私を重宝してくださいました。
退職してわかるのですが、おそらく、上司が部下の異論や反論、苦言をきちんと聞くのはきっと当たり前ではないのでしょうね。中小企業の創業者や社長、後継者は自らの考えに異論や反論を唱えるのを認めないケースが少なくない、と聞きます。その意味では前々職の頃、私たちは恵まれていました。それにも関わらず、論破できる力を持てなかったのを今さらながら悔いています。
補足すると、前々職の社長は会議を多用し、社員たちの意見をよく聞いてくれました。それぞれの言い分からイイトコドリをして1つにまとめ上げ、そのうえで個々に意見を言わせます。そして、「〇〇君もこう言っている」と言葉を添え、社長が事前に決めている着地点に議論を進めていく。それがなんとなく民主主義的に見えるのです。後から考えますと、それは社長のやりたいようにするための1つの手段だったのかもしれません。
私も前職では、同じ手法を取ることがありました。着地点に向けて強引に導くのではなく、誘導尋問を繰り返しながら、社員の意見を聞いたふりをして戦略などを打ち出していく。あの時、社員たちはどう思っていたでしょう。還暦を過ぎた今、そんな過去を省み、戒めることも少なくありません。
シリーズ:『あの人この人の「働き方」 』
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