中小企業 2代目、3代目経営者の デジタル改革奮闘記
2025/8/25
今回と次回は、これまでの本シリーズで取り上げた会社を事業継承という視点から再度見つめ直してみたい。それぞれの記事では取材相手である会社の社長などの言葉を中心に構成しているが、ここでは私たち編集部として感じ取っていることを紹介していく。
01 ―――
まず、下記の4本である。空き家物件に関する相談などを手がけるたんぽぽ不動産(愛媛県喜多郡内子町)の松岡英夫社長が自らの経験をもとに事業継承を語っている。
松岡英夫社長
松岡社長の言葉からは、中小企業の事業継承がいかに難しいかがわかる。特に問題が生じやすいのが、成功した創業者が会長となり、ご子息やご令嬢に社長をバトンタッチするケースだ。創業一族がオーナーである場合の事業継承と言える。創業者は通常、ビジネスには厳しい姿勢で臨む。そうでないと経営を維持し、一定の実績を残すのは難しい。創業したとしても多くは数年で行き詰まり、破綻したりする。
優れた創業者であっても、事業継承では我が子であるがゆえに甘い考えで譲る場合があるようだ。ご子息やご令嬢は経営者としての経験が浅かったり、リーダーにふさわしい資質や性格、気質ではなかったりした場合でも、社長にしてしまう可能性がある。だが、安易な継承は得てして上手くはいかない。
そんな姿にふがいなさを感じるのか、創業者は退いた身でありながら、社長の権限を奪い、自ら陣頭指揮を取るようなことをしてしまう。責任感や使命感とも言えるだろう。止むを得ない一面もあるのかもしれない。それに対し、社長は反発する。だが、1人で経営をすることができないために創業者の介入は続く。
結果として誰が社長であるのか、わからなくなる。指示を受ける役員や管理職はワンツーボスの態勢のもと、仕事をする。困惑し、不満を募らせる。職場が混乱し、一般職(非管理職)も巻き添えになる。各部署でムリ、ムダ、ムラが繰り返され、しらけた空気が漂い、しだいに社員たちが辞めていく。それに対し、会長と社長は効果的な改善策を打てない。親子ではあるのだが、問題の核心に触れない。互いの役割分担や権限と責任を明確にして、役員や管理職たちと話し合い、共有しないのだ。業績は伸び悩み、やがてダウンしていく。
この一連の流れは、中小企業と長年取引をする金融機関や税理士、社会保険労務士、人事コンサルタントらからもよく聞く話である。創業者に限らず、会長や相談役に退いたはずの先代や先々代の社長が、現在の社長の判断を否定し、介入したりするのも頻繁に耳にする。
たんぽぽ不動産(愛媛県喜多郡内子町)
02 ―――
大企業にもこれに近い状況はあるが、社員が多く、労働組合もあり、先代や現在の社長らはある程度、「人の目」を意識せざるを得ない。多くは上場しているがゆえに株主や機関投資家、金融機関の目も意識する。新聞やテレビなどのマスメディアやSNSにも配慮するだろう。これらがあるので先代たちは自制するようになる。
中小企業の場合は、この目が行き届かない傾向がある。だからこそ、事業継承で大切なのは、先々代や先代の社長がいかに自らを抑え込むかー。介入したくなるのをいかにこらえるかー。これに尽きる。我が子を頼りないと思うのかもしれないが、社長に任命し、バトンタッチをしたのだから、信じて任せないとその社長も育たないだろう。ただし、これは大変に難しいと聞く。それを果敢に試みているのが、本シリーズに登場する中小企業の経営者たちだ。バックナンバーをぜひ、ご覧いただきたい。
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03 ―――
ハイサワー
事業継承が大きな混乱なく、スムーズに進んだと思えるのが、下記の博水社(目黒区)だ。レモンサワーなどの割り飲料として知られる「ハイサワー」を製造販売する。
田中秀子社長は3代目であり、先代が父となる。父から娘への事業継承であるのだが、田中社長は20代前半で入社し、48歳で社長に就任。20数年間で営業、マーケティング、総務、経理、法務など業務のほとんどにひととおり関わってきた。ハイサワーなどの商品を最前線で販売する居酒屋や酒店とのつながりや信頼関係も構築した。経営者に必要な知識や経験、実績、信頼を十分すぎるほどに積んだうえで就任したから、スムーズに事業継承ができたのではないだろうか。
田中秀子社長
社長職を離れた父が、田中社長の意思決定を覆すことはなかったそうだ。田中社長は相当な場数を踏んで就任したから、父としても安心していたのではないだろうか。田中社長がまだ経験の浅い30歳前後の時に事業継承しようと思えば、できたのかもしれない。それをすることなく、経営者としての要諦を徹底して教え込んだところに、先代としての、父親としての責任感や使命感、厳しさを感じる。田中社長が20数年、こらえたことも特筆すべきだろう。父と娘の間で安易な継承をしなかったところが、博水社の強さである。
この会社をマスメディアが取り上げる時、ハイサワーが中心になる傾向があるが、父と娘の事業継承にも目を向けるべきと私たち編集部は思う。中小企業の事業継承と言うと、創業者や2代目のご子息やご令嬢が20~30代前半で社長になるケースがある。そのような継承とはまったく異なることは取り上げるべきではないだろうか。
実際は、3代目就任以降も様々な壁はあったと取材時に田中社長から聞いた。たとえば2009年のリーマンショックによる不況や2020年から23年前後のコロナウィルスの感染拡大、さらに慢性的な少子化による労働力不足だ。小さな会社にとっては深刻な影響を与えるものばかりだろう。これらを乗り越えることができた理由の1つには、田中社長の長年の経験にうらづけられた経営手腕によるものがあると思われる。それを教え込んだ父は、とても優れた経営者だったのではないだろうか。
博水社(東京都目黒区)
04 ―――
事業継承をテーマに取材をしていると、30歳前後で2代目や3代目に就任したケースを知る。関係者から話を伺うと、創業者や2代目が50~60歳で社長を退き、会長となり、ご子息やご令嬢に社長を譲るようだ。創業者や2代目が若い頃に事業継承で苦労したこともあり、自らが健康なうちに会長になり、社長を任せたとも聞く。
スムーズに進む場合もあるが、混乱するケースも少なくない。30歳前後で社長になる場合、それ以前にその会社での実務経験があったとしても、おそらく5~6年ではないだろうか。通常は、課長になるのも早いくらいだろう。
管理職や役員を経験させることなく、社長にしてしまうのだから、ある程度の混乱は生じるのかもしれない。だからこそ、先代の社長が会長となり、社長を支える。これは大企業の会長、社長の関係とは大きく異なる。実際は会長が社長を兼務し、社長が管理職の扱いに近い。これでは、社員たちへの指示が混乱したり、指揮命令系統がきしんだりするのは無理もない。この状況が改善されないと、離職者が増え、職場が疲弊する可能性がある。
中小企業では社員が辞める時、「去る者を追わず」の姿勢は避けたほうがいい。大企業ならば採用力があるので許されるのかもしれない。小さな会社は定着率を上げることがまずは優先となる。このようなところまで視野を広げて考えたほうが、得策と言えるのではないか。辞めない職場をつくるためにも、事業継承は慎重に進め、混乱や問題をできるだけ少なくするようにしたい。
シリーズ:『あの人この人の「働き方」 』
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