シリーズ あの人この人の「働き方」
今回は前回、前々回に続き、主に空き家物件に関する相談などを手がけるたんぽぽ不動産(愛媛県喜多郡内子町)の代表取締役社長の松岡秀夫氏(62歳)に、中小企業の人材育成をテーマに取材を試みた。3回シリーズの最終編となる。松岡社長は本シリーズで事業継承をテーマに話を伺い、下記に挙げた記事で紹介した。
松岡英夫社長
松岡氏は、1962年生まれ。1990年、総合建設会社ジョー・コーポレーション(愛媛県松山市)に就職し、主に分譲マンションの販売に携わる。部下の育成やチームづくり、業績を評価され、2002年、39歳で分譲マンションの販売責任者、担当役員になる。
同社の売上は最盛期の2006年で350億円前後、社員数は700人程。2009年のリーマンショックにともなう景気悪化に伴い、業績が急激に悪化し、同年に民事再生法の適用を申請する。人員削減や事業再構築をして再建を試みるが、2015年に事業停止となった。
2009年に46歳で退職。松山市を拠点に建設、不動産、運輸、飲食、ホテル、リース、人材派遣などの事業や会社を経営する西川グループ(正社員数230人程)の創業者から資本の提供を受け、NYホーム(松山市)を2009年に創業し、代表取締役社長に就任。13年間在任中、売上は最盛期で2億円程、社員は約20人、5店舗。2022年に59歳で後継者(専務)に事業継承し、同年にたんぽぽ不動産を創業し、現在に至る。
01 ―――
当時は、部下たちの意見や思いをほとんど聞いていなかったのです。そのような余裕が私にも会社にもありませんでした。次々と辞めていくのは、部下からすると当然だったのかもしれません。私の力が足りなかった。いろいろな試みはしていました。たとえば、経済団体・中小企業家同友会に入会し、そこの学習会に部下たちと参加し、一定のテーマについてディスカッションし、学ぶようにしていました。
たんぽぽ不動産 (愛媛県喜多郡内子町)
部下たちと参加したのは、私としては有効だったように思います。私から何かを言われるよりも、会のメンバーであるほかの会社の社長や役員と学習会でその会社の経営のあり方を聞くほうが部下としては受け入れやすいのではないでしょうか。
このような試みを繰り返すプロセスでも退職者はいたのですが、しだいに減っていきました。まずは、店長など組織の中核になる人材を育てたかったのです。創業から7~8年後の2016年前後になり、店長が定着するようになりました。すると各店舗の社員の定着が進み、全体の底上げができます。社員全体の定着率が上がると業績もある程度、上がるものなのです。好循環になるのでしょうね。
02 ―――
まずは中核になる店長の意見やアイデアを可能な限り、聞くようにしました。私がトップダウンを貫き、店長をはじめ、部下たちを頭ごなしに否定していた時期があるのですが、それではいつまでも定着しません。そこで、段階的に権限移譲をしたのです。たとえば経営計画をつくり、全社で合意をしたことについては基本的には任せます。店舗の業績がよくなったりした場合は、評価するようにしました。ごく当たり前のことでしょうが、これすらできていない時期があったのです。
権限移譲は、定着や育成を考えるうえでとても大切です。私が2022年に60歳寸前に社長を辞めたのは、実は私も社長としての権限を委譲されなくなったからです。そのいきさつは、~たんぽぽ不動産(前編)~
ほかに定着率を高めるために特に力を入れたのは、退職時の本人との面談。いろいろな思いや不満を聞きました。今後の参考のためにも受け入れるように努めました。自分の至らなさを言われているようで耳の痛いものが少なくないのですが、ある意味では先生みたいな存在なのかもしれません。ですので、聞くようにはしていました。退職時には不満をできるだけなくしてもらうことが、後々のトラブルを防ぐためにも必要と私としては考えていました。
退職は毎月給与が入る安定した生活を捨てることですから、勇気もおそらく必要だったでしょう。リスクを冒してでも、辞めたかったのでしょうね。それほどに嫌だったのだろうと思います。社長である以上、その声には耳を傾けないと会社のその後の改善には結びつかないはずなのです。改善しないと、定着率は上がりませんから。
社員をほめる運動もしたのですが、上手くはいきませんでした。私の根気が続かない。出社時のハイタッチも続きませんでしたね。当時、一部の業界で流行していたので試みたのです。継続できたのは月間目標を立て、月末に店長と面談をすること。あるいは、全社員の誕生日に成功哲学や人間的な成長を促される本を1冊、プレゼントすること。社員がその時点で読んでおくといいだろう、様々な意味で最も適していると思える本を選び、手渡ししていました。全員が読んでくれているようでした。レポートを書くことは、課してはいません。読みこなすことができるであろう本を選んでいたつもりです。私が本を読むのが、好きなのです。
ふだんから街並みを撮影することで街の変化を記録し、不動産業務に生かす
03 ―――
資格試験を受けてもらうことにも力を注ぎました。試験に合格すると、社員にとってもきちんとした実績になりますから、会社として奨励していたのです。たとえば、宅地建物取引主任者の試験。合格した社員には、お寿司などをごちそうしていました。回転寿司ではありませんよ。営業担当の社員のほぼ全員が合格しましたから、とてもうれしかったし、誇りでもありました。賃貸仲介を主にする不動産会社で当時、全社員に占める合格者の比率がここまで高いところは全国でもごく少数のはず。おそらく、あの頃のNYホームは日本1ではないでしょうか。それほどにめずらしいのです。
強権発動し、「受験しろ!」と命じていたわけではありません。ここが、大切なところと思います。ある一定数以上の社員が合格しようと勉強し、実際に合格すると、ほかの社員も影響を受け、真剣に取り組むようになります。臨界点のようなものがあり、そこに達すると受験する社員が一気に増えます。
このステージになると、発破をかける必要はもうないのです。どんどんと受験し、合格していきます。社長の立場からすると、臨界点までこらえることができるかどうか、でもあるでしょうね。ここに達する前であきらめてしまうケースが多いのではないでしょうか。臨界点は、定着率を考えるうえでも重要です。臨界点を超えると、辞める社員が大幅に減ります。職場の雰囲気も変わります。
臨界点に達する前までは、社員たちにはこう言っていました。「仮にこの会社を退職したとしても、資格を持っていると次の会社にすぐに転職できるかもしれない。資格はあなたたちの市場価値を高めることになりえますよ」。臨界点以降は、ほとんど言わなくなりました。
ブログ「日刊 中卒社長」
04 ―――
その通りと思いますが、小さな会社ではなかなか難しい。そのような人材であるか否かを見極めるために様々な工夫をしました。経験論で言えば、ある頃から採用の面接で前に勤務した会社のことを必ず聞くようにしたのです。質問の仕方にも工夫をしていました。誘導尋問のような問いかけをしたこともあります。
面接の場で散々に前職の不平、不満、悪口を言う人は、基本的には不採用にしていました。被害者意識がやや強すぎるタイプなのかもしれませんね。そのような人は、うちの会社に入っても同じような言動をとるだろうなと感じたのです。長年、GE社(ゼネラル・エレクトリック社)のCEOであつたジャック・ウェルチ氏も、前職の不平、不満、悪口を言う人は雇わないほうがいいと語っています。
毎回、丁寧な面接をしていたつもりですが、入社後にしだいにわかってくる部分もあります。履歴上、優れている人が上手くいくとは言えない場合もあるし、その逆もありうるでしょう。「では、何のために書類選考や面接を行っていたのか?」と問われるかもしれませんね。いざ働きはじめると、意外なことが見えてくる場合もあるのです。こればかりは、なかなか見抜けません。それでも、書類選考や面接をできるだけ丁寧にすることで採否の精度を可能な限り高めることは重要です。
小さな会社ですから、大企業のような大規模な定期異動を毎年していたわけではなく、そもそもできないのです。ですので、経営理念や経営方針にある程度は共感できうる人であることが重要です。
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